看板

日曜日は盧溝橋へ。宿舎からバスをのりついで

片道2時間(途中迷ったので3時間)かけて

中日戦争の勃発地といわれる廬溝橋へ行ってきました。

広くて立派な橋、当時の石畳も一部残してあり

車両のあたりは溝になってへこんでいました。

bridge-road

近くの抗日戦争記念館では、できるかぎり日本語を

話さないほうがいいかと思いましたが、門衛さんに

中国語でお喋りされたのでやはり見た目や服装では

全くわからないのかな?と思いながら中に入りました。


私が赴任する中国東北地方は旧満州地域で学校など

でも日本語が強制されていました。それらの地域から

広がっていった中国の他地域での日本の侵略や

抵抗運動の様子が時代を追って展示されていました。


日本人という立場で見るときは写真や残虐な行為などに

目を覆うばかりです。しかしただただ反省をして

黙ってしまうのではなくこの2006年に生きている

自分として何ができるかを考えて任地に向かいたいと

思いました。歴史は描き手によって様々な描かれ

かたをします。色々な人の描く歴史を知ろうと

することが大切なのかと思います。「知らない」

ということが時に人を傷つけるのと同じように

過去の歴史に対して色々な見方ができるように

自分自身柔軟にそしてアンテナを高くしていたい

と思いました。

bridge1

霧の中の盧溝橋