本当に全ての人が同じ源の愛から産まれた完全な光であり、
なにもかもひとつに溶けていきます。
不完全だ!と勘違いした思考が消えて、どんどん安らいでいく。
そうすると、本当に大切なものがまた見えてくる。思い出される。
活版印刷でできた昔の活字。
佐伯義郎さんの挿画。
文体の表現や使われなくなった漢字など。
ご存知宮沢賢治は私のおはこのようなもので。
母からの言い伝えのような感じでもある。
幼少時に雨ニモマケズは、全部言えるようにならないと世間さまに笑われるぞ!と言われ暗記させられたものだったが、
周囲の子供で、雨ニモマケズを言えたこはいなかったし、そこまで宮沢賢治に肩入れした人もみかけなかった。
昨日は小川未明をまたむさぼるように読み返し、小学生の頃に好きだったリルケやランボーを読み返し。オスカーワイルドを読み返し。
なぜ小学生の頃にダリの模写ばかりしてたのかと考えた。
ひねくれてたんだろうと思う(笑)
なんてねじれた子供だったんだろう(笑)
今はそんな私で良かったと心底思う。
右習え!な生き方じゃなくて、自分は良かった。(右習えでもいいと思う。のちのち役に立つことがあるから)
結局どう生きても本当に完全だと思う。
ノスタルジーな紙ものは、ロマンが溢れてる。
時空間の歪みが返って洒落た感覚にさせる。