わたしは53歳の主婦で、夫と17歳の息子と3人暮らしです。

40歳の時、全身性強皮症(膠原病)、間質性肺炎を患い、8週に1度、医科大学病院通院治療中。
 

2023年1月まで住宅型有料老人ホームにて准看護士として看護と介護の仕事をしていたが、肺の検査結果の数値の低下と、体調不良にて退職。
 

2024年9月から2025年3月まで求職者支援制度を利用しパソコン訓練校に通っており、12月より就職活動していた。
12月22日ワープロ3級検定を受けたり、市役所の臨時職員の履歴書書きをしたり忙しい日々を過ごしていた。

1月18、22、23日と3か所の面接があった。その翌日の24日より胃がむかむかする胃部不快感出現したが、就職活動の慣れない面接の疲れとストレス性の胃痛程度と思っていたので、次回の消化器内科の定期受診の予約を変更して、2月5日医大の消化器内科受診する。
 

2月14日採血、胃カメラ検査するも、問題なし。
 

2月19日の午後左の背中が痛くなる。20日もパソコン訓練は毎日あるため午前3時間授業を受け、午後帰宅する。ロキソニンを1日1回夕方、3日間内服した。痛くなり3日目の21日15時すぎ、医大の消化器内科に連絡した。消化器内科の主治医が外来に出ているのは月、水曜日で26日の月曜日が一番この時点では早く受診できる日だった。

 

23日は天皇誕生日で祝日で3連休のため、26日消化器内科外来の予約はしたものの、連休中の症状の悪化?や背中の痛みに不安を感じ始めたため、22日はパソコン訓練を休み、病院受診しようと思った。

 

朝一番で医大の膠原病外来に電話をした。左背部痛で診察希望したが、主治医は月、火曜日しか外来に出ていないため、他の医師だった。整形外科で先に診て貰って、整形的に問題なければ、来週診ますと言われたため、

個人病院の整形外科を受診した。レントゲンと診察を受けたが問題は見つからず、ロキソニンが処方された。

この時、医大での診察を考えず、近くの内科で診察を受けていれば、もう少し早くにがん発見に至ったと思われた。

 

26日消化器内科を受診した。

 

28日胸部ct検査にて、すい臓に腫瘍が見つかる。
 

3月6日胸部造影ct検査にて、すい臓がんステージ4、肝臓・リンパ節転移、余命7カ月と告知される。

すい臓のがんが大きく転移もあるため、手術が適応にならず、抗がん剤治療の薬物療法予定となる。



膠原病にて、8週に1度医大受診し採血検査や診察し、2023年6月に胸部ct検査問題なし。胃カメラ、大腸カメラ、乳がん子宮がん検査も2年に1度しており、どこか悪いところがあれば早期発見できるだろうと安易に思っていた。



ところが3月にすい臓がんのステージⅣと余命宣告で、目の前の世界が白黒のグレー色になり精神的ショックを受ける中、
消化器内科の主治医より間質性肺炎のためと、抗がん剤治療の副作用で急な間質性肺炎が悪化の恐れもあるため、使用できる薬の種類も限定される説明あり、抗がん剤治療で間質性肺炎の悪化の心配と不安が重なり、死の不安がすぐそこにあるようにしか考えられなく薬物療法をする必要性を疑う。無治療も検討した。



膠原病で消化器内科の他、膠原病内科、皮膚科、呼吸器内科に定期受診していたことから、それぞれの先生に話しを聞いてもらったり、アドバイスを受けたり、家族や友人の励ましに支えられ、告知宣告を受けて暫くは、かなり落ち込み意気消沈していましたが、少しずつ前を向くことができるなる。

3月22日札幌の手稲渓仁会病院セカンドオピニオン話も聞き、治療方針に納得もでき、薬物療法を受け入れられるように気持ちが変わる。


3月29日に入院し、1回目の抗がん剤治療が始まった。

現在は、もともと占いやスピリチュアルなことが好きなこともあり、運が少しでもよくなるように、断捨離やスピリチュアルなことも取り入れたり、前向きになれるよう色々なことを無理のない範囲で行ったり、今まではなかなかできなかった好きなことをして過ごしている。

治療のこと、病気のこと、食べたもの、行った場所、落ち込んだときのこと、前向きになれたときのこと、スピリチュアルなことなど日々のことをブログに綴っていきます。

またわたしの経験や体験や日々の出来事の記録が、誰かの参考になったり、何かお役に立てれれば幸いです。よろしくお願いします。


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