新年のご挨拶と父のこと | Halau 'O Maika'i Ke Ola

Halau 'O Maika'i Ke Ola

姫路市、たつの市、赤穂市の各スタジオで楽しくレッスンしています。
日々の出来事を徒然なるまま書き綴ります。

今年も大好きなhula Lifeを

 ステキな仲間たちと一緒に

   過ごせますように〜〜飛び出すハート



元旦、北西の空に虹が見えましたよ🌈


これは縁起がいい!

〜〜と思ったのだけど。


元日から大地震と津波のニュース……

地震大国の日本ではあるけれど、何ということか…と心が痛いです。



この虹は、私に前を向きなさいよアップと言ってくれているんだと勝手に良き方に解釈しておきます。



二日は亡き父の誕生日でもあり、七日毎のお逮夜にもあたっていました。


今年も子、孫、甥、姪、その子どもたちなどなど〜

みんな集まるはずでしたが、姪の子に風邪症状の子がいて、子どもが発熱となるとその家族も来れないのでいつもよりはちょっとだけ静かめのお正月となりました。


それでも小さい子たちが6人も集まれば、外を走り回り、ひっつき虫をいっぱい服につけて煽り

ハナも嬉しくて走り回り、足には同じくたくさんのひっつき虫びっくりマーク驚き


楽しかったねー爆笑



4日には母も連れて、書写山へ。

私だけで母を連れて行くのは無理だと思っていたところ、次女が行こうと誘ってくれました。


女四世代で行ってきました^ ^


ロープウェイの山頂駅から摩尼殿まではバスに乗り、摩尼殿下の茶屋でおうどんと焼き餅をいただきましたラーメン


外でいただく焼き餅はなんであんなに美味しいんでしょうラブ


父が亡くなってから、寂しくて沈みがちの母の顔が久しぶりに明るく楽しそうで、ほんとによかった!





父の在宅介護は9ヶ月間ほどでした。
その経緯は前に書きました。



退院してきてから、父は本当によく努力していました。

1人で立ち上がれるように、ベッドに座って足を上げ下げして自主的に運動したり〜

嚥下力が落ちないようにと、1人で発声練習的な事をしたり、舌圧を鍛える道具(ペコパンダ)で舌を鍛えることをしたり〜〜


全ては「自宅で最期を迎えたい」という強い気持ちがあったからだと思います。

それには「介助なしで、1人で立ち上がり歩けないといけない」

「介助なしで、1人で食事できないといけない、さらには介護食を作るのは手間がかかるから、出来るだけ普通のご飯を食べられるようにしたい」


そんな父の気持ちが家族にも伝わってきていました。


亡くなる1週間前には、支えてあげれば庭に出ることもできたし、庭のみかんを自らもいで食べたりしました。

急激に衰えたのは亡くなる3日前。
ほんとに急に動けなくなり、食べることが難しくなり、、、
いよいよ本格的な介護が必要になってきた…
そんな感じでした。

でも認知機能に衰えはなく、最後はほとんど寝ていましたが、目を覚ませばちゃんと会話ができ、
「わし、病院にいれてもらおうかなぁ…」
「もう家は無理やなぁ…」と。

そんなこと言わずに家でがんばろなって、父にはそう言いながらも、これは無理かも…と思わずにはいられませんでした。


実際、慣れない者にとっての下のお世話は力仕事で、要領が悪いから便が自分の服についてしまったり、きれいにするのに時間がかかるから父も寒いだろうし、、、と思い焦るとうまくいかなかったり。

介護職の方々のプロの仕事ぶりには頭が下がります拍手


ケアマネさんと、在宅介護を続けるために必要なあれこれを相談することになっていたその日の朝〜

父は母の胸にもたれかかるようにして息を引き取りました。
91歳、理想的な最期だったと思います。

たった三日、三日だけの本格的な介護。
娘孝行な父の最期でした。

自宅で、こんな最期を迎えられる人はあまりないのかもしれません。


1年前のお正月

もはや 懐かしい〜〜


いつかは迎える親との別れ。

父を偲びながら、落ち込みがちな母を見守っていきます。



2024年もマイペースで 

ゆっくり たのしく

進んでまいりますにっこり