週5回に増えたバイトのおかげで生活はグンと楽になった

3ヵ月前までは米にも事欠いた生活を送っていたのに


しかし、娘との触れ合いも比例するかのようになくなり娘は母がいないのが当たり前になってきた

ある日店に酷い酔っ払いがきた。
これが初めてあいつに会った日だった。

私を見るなり何度もほめちぎり私も悪い気はしなかった。



店を閉めた後ママが珍しく私を呼びつけ
「あの客だけにはついて行かないで。シャブやって懲役食らってる人間だから」
と言った

スナックでのバイトは、久しぶりに楽しかった。


昼間は手あれがする仕事をしているが、スナックに行く日は、使わなかった香水をつけ


アクセサリーを手にはめ、お客さんから可愛がられ、私がシングルマザーだとわかると


わざわざ中華のお店に行き、カラアゲやらギョウザやらをテイクアウトし


「娘にたべさせてやり」とお客さんが何回も足を運んでくれ、可愛がられた。



私は、昼間の仕事がバカバカしく思えた。


昼間の仕事は給食センターでの調理だ。


朝8時半に出勤し、4時には終わる。


しかし時間給750円をもらっても、足や腰を痛めシップ代もバカにならなかった。



スナックの仕事は、1時間2000円をもらえた。


しごかれる事もなく、楽で楽で仕方なかった。


最初は週に2度の予定が、ママに頼まれるようになり


週に5回の出勤になった。



あいつに出会う前の私は、ただなんとなく生きてるだけだった。



私には当時10歳になる娘が居た。


娘が2歳のとき、シングルマザーになり、女手一つで娘を育ててきた。




でも、母親になりきれない自分が居て、子供が出来たことによって恋愛も出来ない自分を惨めだと感じた。




人に愛された事もないと感じていたし、自分から他人を愛すことも受け入れる事もできなかった。



毎日ただ働いて生きてるだけ。


なんの張り合いもなく、生きた心地もしなくて、働いて外で嫌味を言われ、家に帰れば娘の世話。



何度も死にたいと思っていた。


生活は毎月カツカツだった。


母子手当てなんて生活の足しにもならず、朝から晩まで働き通しだった。


いよいよ明日の米が買えないと感じたので、私は夜、子供を実家の母に預け


スナックに働きに出ることにした。

はじめまして

私が当日付き合っていた彼氏に進められ覚醒剤を知らずに使い始め中毒となり、彼氏と別れ薬が手に入れる事がなくなり酷い解脱症状に苦しみ、うつ病となり今度は薬の乱用をしました

その後1年以上をかけ病気を治し現在までのいきさつをブログに綴ろうと思っております



今現在も薬物中毒で苦しんでいる家族や当人が何らかの形で光を見いだしていけることを祈っております


薬物は一度使うと二度と普通には戻っていけません

安易に使うと私のように一生を棒に振るいます


もし今現在あなたが薬物に興味があるならばすぐにやめなさい

絶対に戻れなくなります

薬物根絶のために使わないのが一番です