こんにちは。


まいかです。



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今日も『母のこと』と『昔の嫌だった記憶』について書こうと思う。


私は、幼稚園の頃から小6までバイオリンを習っていた。


だけど、途中で何度も辞めたいと思った。


なぜ辞めたかったのか、

理由は、以下の通り・・・


①まず『楽譜』が読めない。


母は、別のお母さんから、

ある事を言われた。


「教室に通う子たちの中で、

(私が)弓で弾いて奏でる音が1番綺麗ですね。」と

褒められた事があったらしい。


「音は素晴らしく良いのだけれど、

テキストがなかなか進まなくて、

もったいないね。」とも。


どんなに奏でる音が素晴らしく綺麗でも、

『楽譜』が読めなければ、

プロになってもやっていけるわけがないし、

続けている意味が無い。


それを母に説明しても、

母は分かってくれなかった。


母に言わせれば、

スズキ・メソードの鈴木先生がまだ健在だった頃、

どんなに弾ける曲が多くても、肝心の奏でる音が良くなければ意味が無いと言われたらしい。


私に言わせれば、そんなのは、

屁理屈にしか聞こえなかった。


教室の皆んながどんどん弾けるページが増えていくのに、私だけ1巻からなかなか進めなくて、とても恥ずかしい思いをしたのを覚えている。


母は、テキストの1巻からなかなか進めない私を見て、「あなたはバイオリンを奏でる音が、

誰よりも綺麗に弾けるし、頑張りなさい。」とよく言ってきた。


母は、バイオリンを弾いた事が無いくせに、

屁理屈ばかり言って、分かったフリをして

辞めさせくれなかった事に腹が立った。


こっちは、『楽譜』が読めなくて困っているのに、

「『音が綺麗』だから続けなさい。」

という母の言葉の意味が理解できなかった。


②耳コピして弾いていたので、

弓使いが『楽譜どおり』では無かったから、

弓使いがおかしい。


③左手指で押さえる所にシールを貼らないと、

弾けない。


④調律(ちょうりつ)ができない。


⑤別にプロのバイオリニストになって、

食べていきたいワケじゃなかった。


⑥いま想うと女子サッカーをやってみたかった。


話を戻すと…

母は、月に一度のバイオリン発表会にも

来てくれなかった。


娘がバイオリンを習っている事に

鼻が高く、

見栄でやらせていたフシも感じさせられた。


1回始めた事は途中で投げ出さず、最後まで

やり通すことが大事なのは、確かに分かる。


だけど、私が大人になっていま思うことは、


人には向き不向きがあって、

それを早く見つけて軌道修正する事が大事なんだと

ある日、気が付いた。


まるで『カーナビ』の目的地を入力しないで、

ただ走ってるだけで燃料が勿体ない車の状態と同じ気がした。


『重要じゃないことに時間を使うと

本当に大切な時間が無くなる。』という事を母に

分かってもらいたかった。


当時の私は、バイオリン以外で

他にやりたいことがあった。


それは、町内会の子ども会に参加して

友だちを作ること。


町内会のドッチボール大会があったのだが、

それに出ることを母は許してくれなかった。


理由は、バイオリンのレッスンを休むと

お金がもったいないから。


私は、近所の友だちを作れるチャンスを母に奪われた。


母は、近所の友だちを作ることよりも、習いごとをやらせるほうが大事だという考え方みたいだった。


ドッチボールは、遊びだからムダな時間だ。

という認識もあったようだ。


『小学生の頃からの友だちは、

一生の友だちになるから大切にしなさい。』と、

どっかのセミナーで聞いたことがあった。


人生は一度きり、人生やり直すならこの頃に戻って母を説得し、友だちと遊んで想い出をいっぱい作ることもやりたかった。


そんな母に未だに言いたい事がある。

それは何かというと…


「バイオリンじゃなくて、

本当にやりたいことがあったのに!

非常にムダだった6年間という時間を返して!」






つづく・・・