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クソムシ最近迷走してる!自分の生き方に疑問を持ちまくった!結局クソムシは今まで散々甘やかされてきたポンコツに過ぎないのだ!中学生のとき親に「勉強しか取り柄がない」と言われたことがあって、当時は傷付いたのだけど、今思うと本当にその通りだ!何故そこに誇りを持たずせっかくの特技を磨くことを放棄してしまったのか…。悔やまれる!!!

というのは冗談半分で、実はやっぱりクソムシは今後の人生どうやって暇を潰すかということしか考えていないのでまだまだよゆーです。皆生活のために働くなら、クソムシは生活は安泰なので働かなくても構わないよね?なのに何故働いていないことに引け目を感じなくてはならないのだろうね。

普通に働くことと、このクソムシブログを書くことは両立できない。

普通に働くことはわたしより上手にできる人がたくさんいるが、クソムシブログはわたしにしか書けないものだと自信を持って言える。

だったらわたしは普通に働くことよりクソムシブログを書くことを選んでよいのではないか?

普通に働くことがクソムシブログを書くことより優れている理由としては「金を稼ぐ」という点を挙げることができる。わたしは社会にとって一個の労働力なのだ。働かざる者食うべからずという。

しかし働かなくても腹一杯食べることのできるわたしは一体どうすればよいのだろうか。

働きたくないというわたしの意思があることも踏まえて考えてほしいと思う。

働きたくない人間が、働かなくても生きていけるときに、それでも働かなくてはならない理由があるだろうか。

わたしは

・皆働いているのに自分だけ働かないのは皆に悪い

・将来どうなるかわからないのだから少しでも多く貯蓄をしておくべき

この二つにより罪悪感と焦りを感じているのだと思っている。

しかし、前者による罪悪感など本来背負う必要はまったくないものだし(皆がやってるから自分もやらなくてはならない、ではなく、皆がやっていないことを自分はやらなくてはならないと考えるべきだ)後者の焦りは「将来どうなるかわからない」というのは今働いている人間、更には羽振りのよい人間にだって言えることなので、どちらも無意味なのである。

とまあごたくを並べましたが、このようにイカレタのうみその女はとにかく社会に適応するのが難しいってことです。男性より女性は無個性であることがよしとされますしそのように作られているみたいですから。女だからで許されている部分もたくさんあると思いますけどね。

記号化された個性のなんと無個性なことか。人間なんていくらでも記号になれる。わたしは記号として他人に認識されることより、自分を見失わずにいることを大事にしたい。

【クソムシの日常】


・切符を券売機で買う時の「発券中です」が、「発見中です」だったら楽しいのになぁと、切符を買うたびにいつも思っている。


・成城石井って言ってみてごらん。せいじょういしい。6文字目あたりまで口にしてみて、あっ…とちょっと恥ずかしい気持ちにならないかい?


・コンビニに入った途端曲のイントロが流れ出したので、これわたしのBGM!!と思い込んでちょっとカッコイイ気分になった。


【カレーについて】


・ココナッツカレーはおいしすぎる。今後わたしの食べるカレーはすべてココナッツカレーでもよいような気がしている。


・しかしホワイトカレーも捨てがたい。


・つまり、辛いカレーよりマイルドなカレーが好きということである。


・ていうかもうなんてもおいしいんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!(逆ギレ)(別に逆ではない)(冗談ではなく本当に毎日こういう気持ちになる)(おそらくいつでも肥満体になれる)(ところで小学生のとき肥満児にだけ配られる「生活改善合宿」のようなもののプリントの存在を君たちは知っているかい?)(わたしは知っているよ)(自他共に認めざるを得ない肥満児だったからね!)(入るスカートがないという理由でお母さんの手作りのスカートを穿いていたのを最近思い出した)


【小さい虫】


・部屋の中にいる小さい虫を潰した。小さい虫を潰したら、虫の残骸は墨としか思えないような物体となる。よね。それの主成分はなんなんだろうか。非常にどうでもいいけど。


・ていうか虫のぶんざいでクソムシ様のお部屋に無断で入るな。


・クソムシはムシではあるが世間一般で言う虫とは違う生き物なのだ。


・クソムシは気高く美しいので、実は選ばれた人しかクソムシになることはできない。


・皆の者もクソムシになれるよう日々精進してくれたまえ。

クソムシは静かな花になりたい。

別に現在これといって嫌なことはないし、いざというときはプライドを捨ててでも生きようとするんだろうけど、時々「あ、」って何かに気付いた気がしただけで飛べそうになる瞬間がある。それは生のしがらみから解放されているときで、幸せなようでいてとても危険な状態だ。

それにしてもクソムシはここ最近で、自分がいかに甘ちゃんかということがよくわかった!何を言っても、何をやっても、すべてが「お嬢様の憂鬱」「お坊ちゃんの反抗」の域を超えていない。たまたま思春期を不細工な容貌で過ごしたので世の中の理不尽さを目の当たりにしただけで、それさえなければもしかしたら無自覚のまま、運を自分の実力だと勘違いして幸せに生きていたのではないか。そう考えるとわたしはなんてちっぽけな存在なんだろうと思った。今更かよって感じだけど。

でも、わたしは首を吊りたくはないので「甘ちゃんで何が悪いか」と開き直ることにしてます。目の前の現実がどうかより、気の持ちようの方が大事なんですよ。どうしようもなくなったら泥水でもすすって生きていけばいいではないか。そう思えば特に怖いことはありません。

別にどうしようもなくないのですすりませんけどね。ていうかせめてろ過しろよ!