今日読んだ記事で、↓の記事の豆知識が面白かった
ストリートビューをご利用のみなさまへー気になるこのサービスに対する日本の過剰反応
日本に生まれ落ちた瞬間6億のインフラに囲まれて生きていくらしい。すげー
で、そこからさかのぼって、現代の日本人の他人を拒否する態度について考察されてた。
そんないろいろな人々がつくったものに囲まれて一人で生きてるなんてないでしょう、と。
なーんにもなかった昔の日本人は道ばたの石ころに神様を見いだして、何かと繋がろうとしていた。
それが今や物があふれるようになってしまった時代ではつながりを拒否するようになってしまった。
なんか人間って、あまのじゃくだね。
ーーーーーーーー
ということを頭の奥にとどめつつ、今日友人が面白い日記を書いていた。
何を思ったか分からないが、『女性が社会に求められる母性(知性ではない)と、それを感受する態度について』みたいな内容だった。
まぁ軽く書いておけば、
女性は(男が多数派である)社会から『寛容で鈍感であるように』(つまり母性)求められており、男のように『攻撃的で理性的であること』(つまり男らしくあること)は求められていない。
自分自身もそんな奥さんがいい。
しかし、そういう社会から求められる女性像をそのまま受け入れて甘受している女の人を見ると『可哀想でつまらないなあ』と思う。
みたいなことが書いてあった。
自分の奥さんには『寛容で鈍感であること』を求めるくせに、実際に女の人がそうだと可哀想でつまらないなあ』と思う、というのはどういうことなんだろ??と少し考え込んでいました。
その後予想通り女性から反論のコメントがつき、中には「なんか違う気がする」と反論した人に対して「そこで『なんか』っていうので反論するってことが甘受している女性の証なんだよ」と、友人はコメント仕返していました。
まぁ良く分かんない日記だったのですが、しかしずーっと考えていくと彼が何を言いたかったのか、そして彼が何を欲していたのかが分かるような気がして来ました。
彼が言いたかったことは
「世の中の大多数の女の人は、あまり頭を良くない対応をする。それは実際に角が立たないし良いことだ。だけど君たち本当にそれで良いの? 俺は横で見ていて可哀想で不安になってくる」と『親切心で』言ってあげよう
ということであり、
彼が何を欲してたかと言えば、
安易な女性からの反論ではなく、かといってよく練られた理性的な反論でもなく(これはちょっと嬉しいかもだけど)、彼のその親切心みたいなものを理解してあげることが、実は彼が気付かないうちに心の底で求めていたものなのかもしれない
と思うようになった。
なぜそう思ったかと言えば自分こそ、自らこういう話をする時に真に(気付かず)求めているものは、自分の心を理解してもらうこと、そしてその理解してもらった立場の上から自分の意見に共感を示してもらうこと、じゃないかと思い当たったからだ。
で、ちょっと最初の話に戻るけど、なんだかんだ人間はつながりを求めて、拒否してみたりするけど、やっぱり今でも繋がろうとしてるんじゃないかな、と思う。
僕の好きなマンガであるプラネテス曰く、
「俺に関係ないものなんかこの宇宙に無いんだよ」
相手の気持ちになるのはできない。なぜなら自分はその人じゃないから。ではなくて、相手の求めているものを考える。その求めているものって多分その人自身が本当に気付いているわけじゃないもの。それはできるんじゃないかな?
ちょっと相手の本当に求めているものを考えて生きていきたいな、と思った。
ストリートビューをご利用のみなさまへー気になるこのサービスに対する日本の過剰反応
日本に生まれ落ちた瞬間6億のインフラに囲まれて生きていくらしい。すげー
で、そこからさかのぼって、現代の日本人の他人を拒否する態度について考察されてた。
そんないろいろな人々がつくったものに囲まれて一人で生きてるなんてないでしょう、と。
なーんにもなかった昔の日本人は道ばたの石ころに神様を見いだして、何かと繋がろうとしていた。
それが今や物があふれるようになってしまった時代ではつながりを拒否するようになってしまった。
なんか人間って、あまのじゃくだね。
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ということを頭の奥にとどめつつ、今日友人が面白い日記を書いていた。
何を思ったか分からないが、『女性が社会に求められる母性(知性ではない)と、それを感受する態度について』みたいな内容だった。
まぁ軽く書いておけば、
女性は(男が多数派である)社会から『寛容で鈍感であるように』(つまり母性)求められており、男のように『攻撃的で理性的であること』(つまり男らしくあること)は求められていない。
自分自身もそんな奥さんがいい。
しかし、そういう社会から求められる女性像をそのまま受け入れて甘受している女の人を見ると『可哀想でつまらないなあ』と思う。
みたいなことが書いてあった。
自分の奥さんには『寛容で鈍感であること』を求めるくせに、実際に女の人がそうだと可哀想でつまらないなあ』と思う、というのはどういうことなんだろ??と少し考え込んでいました。
その後予想通り女性から反論のコメントがつき、中には「なんか違う気がする」と反論した人に対して「そこで『なんか』っていうので反論するってことが甘受している女性の証なんだよ」と、友人はコメント仕返していました。
まぁ良く分かんない日記だったのですが、しかしずーっと考えていくと彼が何を言いたかったのか、そして彼が何を欲していたのかが分かるような気がして来ました。
彼が言いたかったことは
「世の中の大多数の女の人は、あまり頭を良くない対応をする。それは実際に角が立たないし良いことだ。だけど君たち本当にそれで良いの? 俺は横で見ていて可哀想で不安になってくる」と『親切心で』言ってあげよう
ということであり、
彼が何を欲してたかと言えば、
安易な女性からの反論ではなく、かといってよく練られた理性的な反論でもなく(これはちょっと嬉しいかもだけど)、彼のその親切心みたいなものを理解してあげることが、実は彼が気付かないうちに心の底で求めていたものなのかもしれない
と思うようになった。
なぜそう思ったかと言えば自分こそ、自らこういう話をする時に真に(気付かず)求めているものは、自分の心を理解してもらうこと、そしてその理解してもらった立場の上から自分の意見に共感を示してもらうこと、じゃないかと思い当たったからだ。
で、ちょっと最初の話に戻るけど、なんだかんだ人間はつながりを求めて、拒否してみたりするけど、やっぱり今でも繋がろうとしてるんじゃないかな、と思う。
僕の好きなマンガであるプラネテス曰く、
「俺に関係ないものなんかこの宇宙に無いんだよ」
相手の気持ちになるのはできない。なぜなら自分はその人じゃないから。ではなくて、相手の求めているものを考える。その求めているものって多分その人自身が本当に気付いているわけじゃないもの。それはできるんじゃないかな?
ちょっと相手の本当に求めているものを考えて生きていきたいな、と思った。