「穏やかな暮らし」には基本・基準は大切である。 | 俺の生きかた

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俺自身、ごく普通のサラリーマンである。
日々おこることや挑戦している事や朝空も毎日更新中なり
体重を68kgを目指してダイエットしている様子も更新しています。
いろいろ載せたいと思いますのでご声援よろしくお願いいたします。


天気回復! 雲はあれど少し青空

梅雨の中休みなり

今日は洗濯が乾きそうなり。

イライラ・カリカリは、おいらの体に悪い。

ストレスは絶対ダメである。

しかし、ノンストレスな生活などあり得ない。

たとえば


クラクションである。

あちらこちらで「ピーピー」
「プープー」うるさく鳴っている。

おいらは基本的に鳴らすことはない。

鳴らされる人の気持ちになれば嫌だろうし、おいらも鳴らされたら嫌だからである。

鳴らすためについているから、鳴らせばいいのに周りを気遣い鳴らせない・・・

そして、おいらの「基本」と他人の「基本」は全く違うものである。

長さの違う「定規」でいくら測っても、正しく測れないのと同じである。

「基本」「基準」を調整するのが「教育」だとすると、調整機能が機能していないのから「基本」の差がでるのではないだろうか?

人はロボットではないが、基準がある程度の幅収まればもう少し穏やかな生活が出来るような気がします。

自己中心的な発想はやめ、互いを尊重し合う「穏やかな世間」であってほしいと願うばかりである。