ちまたのブス論争を受けて
思う
わたしもブス嫌い
そー思ってきた
で自分もブスだとずっと思ってきて
ほんとコンプレックスで
自分を好きになれないのは
ブス嫌い=自分嫌い
てことかと思ってた
けどねー
たぶん違う
自分の感性的には実際
わたしそこまでブスじゃない
どーみても普通
ブス
醜形恐怖症
って逆に自意識過剰だっての
キレーですね~
と言われれば嬉しい
けどモゾモゾするのは
ブスだからじゃない
普通だからだ
むしろブスって子供の頃を遡っても
言われたことないかもしれん
普通だったからだ
普通だと人によって
どっちにもころぶ
褒められれば嬉しいし
けなされれば悲しい
普通というポジションは
常にイチかバチかの
局面にさらされて(大袈裟?)
その緊張感がイヤで
傷つかないように
ブスということにした
安心感をてにいれた
ブスがコンプレックスと思うことで
先に傷ついて
誰かに傷つけられてダイレクトに
ショックを受けるリスクから逃げた
ブス嫌い=安心感
だった
でーもーねーー
現実的に
そんな人の顔なんて
あーだこーだ言うことないじゃないですか
大人になればなるほど
そんないつ飛んでくるかわからない
リスクのためにわたしは必要以上に
守ってるふりしてわたしを傷つけて
きたなと思う
そしてそれは全て他人軸だ
ブスという言葉に
イヤなものを感じるのは
ブスが嫌だからじゃなくて
自分を蔑んできた自分に
怒っているから
自分の感性を否定してきたからだと思う
ということで人様の美醜について
気を留めるほどのなにかなんて
持ち合わせてもいなかった
ブスはブス
美人は美人
安定のポジションを手に入れてることに
ちょっと嫉妬はしていたくらい
昨日ヨガしながら鏡見て思った
どー見ても普通だった
あきらめよう
あきらめたうえで
これから歳を重ねても
魅力的である人でありたいと
思う
写真写りは悪い
リスク恐れて投げやりな顔
しているからだ