この本も数年前に読んで、今回手放すにあって再読。

 

本は時間を空けて再読すると、全然違う読み方になる。

結局、過去の自分と今の自分は違うし、

人は変わり続けることを、私はいつもこの再読の効用によって知らしめられている。

 

初めてこの本を読んだときは、

多分、教育の観点で、子どもたちのモチベーションの上げ方などを知る手立てに

読んでいたと思う。

だから、気になって付箋を入れていたのは

内発的動機付けを促すためには、目標を自分のものにする=自律性を育てる、

という部分だったり。

よく子育てにおいても言われるのが「自分で選択させる」

そこには、自主性が生まれ、

未就園児は自発的になると感じるし、

もう少し大きくなればそれは責任や覚悟という言葉で形容されると思う。

私が勉強し続けるのも、まさにここ。

誰かにやれと言われたわけでもないのに、し続けることができる努力。

心理学者エドワード・シド、リチャード・ライアンが主張する

「自己決定理論」で言われる基本的な欲求は

「関係性」「有能感」「自律性」の3つだ。

自分で選択をし、誰かと繋がって、何かに貢献する。

言葉にしたらこれだけのことを、一体どのくらいの人ができているのだろうか。

 

今回響いたのは「自分を知る」という部分だ。

まずは「習得型」と「証明型」に別れる自分の特性だ。

数年前に読んだときには、自分は内心認められなかったのだが、

私は完全に「証明型」だ。

自分の能力を人に見せつけたい。

だから仕事ではとにかく結果を出したい。

勉強では、負ける土俵には上がらない。

 

今、2年以上に及ぶ勉強を経て、

また共に学ぶ仲間に完全な「習得型」がいて、

私は少しずつ「学ぶことそのものを楽しい」と思えるようになってきた。

証明型な私は、目的が能力を見せつけることだから、

失敗することが怖いし、

もし失敗したら大きく落ち込む。

そこからの立ち直りが早いタイプだから何とかなってきたけど。

私はこのまま勉強を続けることで「習得型」マインドを取得していきたい。

それは生きていることそのものを楽しみに変えてくれるし、

子どもたちに最も学んでほしいマインドだと今なら思うから。

 

この違う文脈で出てくるのが「成長論者」「決定論者」

努力をすれば能力を伸ばせられると信じているか、否か。

証明型はどうしても決定論者の傾向が強いから、

どうしても他人の目が気になるし、変わらないと思うから、

見栄えがいい方を選ぶ。

 

扉は信じていれば開く。

 

何だか聴き慣れた、使い古されたような言葉が一節出てくる。

根性論ではなく、まさにそれが一周回って真実なのだと。

私も信じ続けていたい。

 

Where there is a will, there is a way.(ビリギャル)

為さざるなり、能わざるに非ざるなり(孟子)

 

きっと、これは真実なんだろう。