戻ってきたよ、せかいの中心。
今日から医師と過去の記憶整理作業を開始。ふらふらする。

記憶ってのは至極曖昧なものである。難儀やなあ。
死ぬというものが未だによく分からない。誰かが何かが死んだとき、悲しいという感情はぽとんと水が心の中に落ちるように広がっていくのだと思ってた。そんな風には到底なれない。視界の靄が広がり、音がどんどん遠くにいって、聞こえなくて、見えなくて、それに手を伸ばそうとさえ段々思えなくなった今の私は、この腕の傷が消えないように、もうずっと変わらないんだろう。そう生きる上で何かを思うしかないのだろう。
また離人なのかな。靄がかかる、感覚が薄い、記憶がさらさら流れてく。
父に対してだけは、子守歌のような記憶が残っていた。母にはなにもない。私が父を庇ってしまう理由は、ただこれだけのことなのかもしれない。安心なんていつだってくれなかったのに、今更優しくされたって、私は信じられるような人間ではないのだ。今の母さんを認められる大人にはなれる。ただそれだけ。
人は予感に幸せを感じるのだとしたら、私のこの感覚は。予感へのものであって人に対してではないのだろうか。幻想なのだろうか。そうだとしたら。私は駒を進めるべきでないのか。

市役所、自立支援の更新のため保健所に行かなくてはならず、現住所のある実家に一時帰ってきた。夕飯の時、母さんと話しをしてみた。珍しく。
母さん父さんから産まれた私、それは事実だけど父さんを精神的な意味で父親と想うことはもう止めなさい、諦めなさい、あの人は変わらないの、家族を苦しめてママを苦しめて借金貯めて警察沙汰にもなって、弁護士にも嘘の収入を言って、あの人は変わるチャンスがあった筈なのに変わらないの、だからあんな人のことで悩むなんて馬鹿馬鹿しいの、諦めなさい。そう言われた。
でもね、母さん。端から見れば変わるチャンスがあったって自分が変われるっていう自信がなけりゃあ、そんなのチャンスじゃない人もいるんだよ。
自分が、この欠点しかないような自分が変われる?夢物語にしか聞こえない。私はそれでも足掻くけど、医者にさえこの病気は生涯つきまといますよ、って言われて、それで簡単に理想に手を伸ばせるか?
人として軸がぶれてるんだよ、支えがないから震えてるんだよ。母さんがいなかったから。父さんは医者だった、精神を自分は病んでるって分かってた筈だろう。同時に、母さんの精神が重度の過干渉依存だってのも。分かってたんだ。分かってて、二人分、いや私も含めたら三人分の精神病を抱えてたんだ。

母さんが父さんを憎み、父さんも母さんを憎み、私はこの負の家系からは逃れられない。それでも、父さんに関わるなと言われても私はそれを恐らく聞けないだろう。
いくら悪いことをしても、どれだけの憎しみがあっても、家から追い出されたこともあっても、余命数ヶ月しかない父方の祖父には会いに行くつもりだ。死んだら終わり。憎しみも悲しみも何もかも、終わる。
だから私は会いに行く。
借金は1200万ほどあるらしいし、父さんが狂気染みた行動を起こさない、という確信はない。飛躍した話しをしてしまえば、父さんの家にお見舞いに行って、監禁される、殺されかける、なんてこともあるかもしれない。私は母さんの子供でもあるから。でも、それでもきっと私は父親を、金子の家系を憎めないまま死ぬのだろう。




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自分の殻を破るように、私は19歳の時この街に上京した。毎日毎日、飽きずにも考えるあの人のこと。その人のことを考えられる内は、私はほんの少しだけ、笑うことが出来た。本当に、ただそれだけの理由。愛されることなんて理想でしかなく、私はただその人を愛せる自分が好きだった。誇らしかった。私は私の為にその人をあいした。今私に見えるのは、興味を持てたのはたった一人、その人だけ。
なのにどうして私は此処にいるんだろう?母親と一緒に住んでいると私が私じゃなくなるから?主治医の勧め?碧が許したから?だから私は恋愛として好きでもない男性に監視されながら、布団さえ一緒で、暮らしているの?
碧は私。私は、私。私の全てが私。きっとそう。全ては私の思い込み。だから、だから、だから、全ては私の意志の筈。
寒い。此処は、こんなにも、寒い。







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最近は、調子が良い。調子というより、気の問題かもしれない。
朝何をすれば良いかから始まって昨日の記憶を探って、珈琲を飲む、一息つく。昨日、若しくは少し前への気持ちを諦める、諦めるふりをする。それから今日の予定を何かあったか確認、何をするか決めて、気がつくと支度は出来ている。煙草の吸い殻が増えていることから時間の経過を認識する。外に出るのは相変わらず怖いけれど、最近は自転車に乗るのが怖くない。
食事は気持ち悪くなるのが怖いから余り食べてない。
体が軽い。何か憑き物が落ちたような気がする。自分の理想を捨てないこと、自分を諦めないこと。そんなことを考えながら、何かを諦めた。引き換えに。何もかも手に入れてやるということが傲慢なら、何もかもを飲み込もうとした私の中の色も、やはり傲慢なのだろう。テレビに映るヒーローやヒロインは、そんな台詞を吐きながらもきれいだったり格好の良いものに見えるけれど、美化された肖像は真実から遠退く。だから私は泥臭い人間でありたい。ただ、誇りを持ちなさい。胸を張りなさい。あの人の言葉だけが耳の奧に残ってる。



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夢を見ていた。父さんはピアノを弾いて、私に語りかけてる。母さんは台所で鼻歌混じりに料理を作っていて、姉さんはそれを手伝っていて、幸せな、光景。
ぐちゃぐちゃに零れるしずく。記憶。記録。
目が覚めて、思う。皆、私が元気なふりをしたらそれを信じた。社交的なふりをしたら周囲は集まった。誠実なふりをしたらあの子は礼儀を弁えてると褒めた。でも、私が心底苦しそうにしたら、仮病ぶってどう接すればいいのかしら、うそつきね、と評した。
だから、誰も信頼しちゃいけないんだ、誰も助けてはくれないんだ。医者も友人も大好きなあの人も。誰も。でも信じなければ見えない物もある。
私はまた、爪を赤に染めることにした。





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