前期のソロ試験は7月4日。

1か月前にくじ引きで試験の歌う順番を決め、
2週間前には書類提出。


■曲名
■伴奏者
■演奏時間
■自分がなぜこの曲を選び、この曲によってどのように前進しようとしたか。


以上を書いて提出しすると、試験官の先生方に配られます。


試験当日にはその用紙も照らし合わせながら試験官の先生方に聴いていただき、

演奏家、指揮者、演出家、、、、試験官の先生がたそれぞれの立場の視点から聴いた講評を書面にていただけるそうです。



自分が今歌っている曲で何をどうよくしようとしているか、


あまり突き詰めて考えたことがなかったように思う。
与えられた曲をただうまく歌えるように…


それだけじゃダメなんよな。


目標を達成できているか確認をするためのレポート提出ではなく、
その曲とちゃんと向き合う機会を作るための書類提出だそうです。



歌を歌ってうまくいかない時、


何がいけないのか?
何がたりないのか?
何をやりすぎているのか?


どうすれば治るのか?
どうすればできるか?
どうすれば余分なことをやめられるか?


どうなりたいか?
そうなるためにはどうするべきか?
今何ができるのか?



レッスンで何かを言われても、

「なんでそういう風に言われたか」

「どうするためにそう言われたか」

を自分が理解して実行していかなくちゃ良くならないし、


言われることを待ってたら、一生「言われるまで気づかない自分に終わるんだ」ということを知った。



大学時代の自分は教えてもらったことをいかにうまくやるかしか考えてなかったけど、
むしろあんまり考えずにただ根性練習してただけかな。


今のレッスンでは歌って、
先生に注意されたことを実践して良くなった時、


「今、あなたの中では何がどういう風に変わったの?」
「どういう風に体を使ったら出来たの?」
「さっき出来なかったのはなんでだと思う?」
「どうしたら出来るようになると思う?」


いろんなことを自分の言葉として口に出させることで確認してくださいます。



レッスンで出来ても家に帰って出来ないのは、
結局自分がちゃんと理解してないからなんだと思う。

言われなくても自分でそういうことを考えていかなきゃ進歩しない、
もしくは進歩しても遅いだろうね。



大学時代、自分の学ぶ姿勢がもっと前向きだったら、
先生方に対する姿勢も変わってたし、先生方の私に対する教える意欲をもっと掻き立てられたんじゃないかと思う。



「わかりません」

「できません」

「ここ苦手なんです」


そんなことばっかり言ってた。


「出来ないことを出来るようにするためにこういう努力をしてます」


ってはっきり言えるようなこともせずに。




先生方にとって、教わることに消極的な学生に一生懸命教えるほど空しいことはないだろうなと思う。

そりゃ先生方も意欲をそがれて当たり前よね。


教えてくれないんじゃなくて、教わろうとしてなかった自分。

良い先生が周りにたくさんいたのに、なんてもったいない4年を過ごしたんだろう…





と後悔しても時は戻らないので。
今目の前にあることをただやるのみ。




物の見かたや考え方を教えて、気づかせて、示してくれるような存在が故郷には少なかったんだと思う。

先生や生徒の質とかそんなんじゃなくて、
結局、最後は自分が自分で考えて行動するってことなんだと思う。

そういうことをみんなが気づけば、あの大学はもっともっと充実した場所になると思うんだ。



自分は大学時代がすごく苦しかったし辛かった

それはいつも何かの、誰かのせいにして過ごしていたからだと、今は分かる。

そういう考えからは何もいいものが生まれないってことも。



私の後に続く人たちはそうじゃなければ良いなと思う。



故郷にある伸びやかなテンポや人の温かさは、こっちにある何物にも代え難い価値があるよ。

それに気づけるかどうかは自分次第でね。



チマローザは1749~1801年、
モーツァルトは1756~1791年


チマローザがサリエリの後を引き継いだ1791年にモーツァルトはウイーンでなくなっている。


1789年彼が40歳の頃にフランス革命。

ということは「秘密の結婚」はモーツァルト死の翌年、そして革命の3年後の作品。



★「秘密の結婚」について


■作曲 ドメニコ・チマローザ
■台本 ジョヴァンニ・ベルターティ
■原作 ジョージ・コールマン及びデヴィッド・ギャリック、M・J・ラボラ・ド・メジュール・リッコボーニ
■初演 1792年2月7日 ウィーン・ブルク劇場
■演奏時間 序曲(6分) 第一幕(65分) 第ニ幕(60分)



初演のウイーンブルク劇場はフィガロやコジが初演された劇場ですね。

当時の人たちはこんな初演を次々聴けてうらやましい…



“イタリアのモーツァルト”と親しみを込めて呼ばれたチマローザ (1749~1801) の残した最大傑作。
日本でそれほど上演されていないが、筋もわかり易く、モーツァルトやロッシーニのいいところだけを聞いた気分になれる、お得なオペラらしい。。


18世紀後半のオペラ・ブッファ全盛期の代表作。

オペラブッファは能における狂言のような位置づけで、短く内容も軽く面白い喜劇。

当時の人々に面白さが伝わるように、舞台は初演と同じ年代なのだそうです。



この作品、初演時には臨席した皇帝レオポルト2世が感激し、その日のうちに再演させた逸話もある傑作。


このレオポルト2世という人は、前の皇帝ヨーゼフ2世に比べるとあまり音楽や芸術に興味のない人だったらしい。
ダ・ポンテを追放したのもこの人。


1790年に皇帝に即位する際、モーツァルトが。フランクフルトで行われた戴冠式に同行。
同地で私費を投じてコンサートを開催し、ピアノ協奏曲26番ニ長調「戴冠式」、同19番ヘ長調「第2戴冠式」などを演奏するも、観客は不入りだったという逸話あり。



台本を書いたベルターティという人物は当時有名な作家。
モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」の台本制作の際に、ダ・ポンテは同時代のベルターティの先行作『ドン・ジョヴァンニまたは石の客』(1787年)を参考にしたらしい。


というか、ウイーンでベルターティの台本を読んだダ・ポンテが「ドン・ファン伝説を題材にしよう」とモーツァルトに持ちかけたという説があり、この人がいなかったらドン・ジョバンニは書かれていなかったのかも??



★「秘密の結婚」


<登場人物>


ジェロニモ(B)………裕福な商人
エリゼッタ(S・MS)…ジョロニモの娘。姉。
カロリーナ(S)………ジェロニモの娘。妹。
パオリーノ(T)………店の使用人。父に内緒でカロリーナと秘密で結婚している。
フィダールマ(MS・A)ジョロニモの妹で未亡人
ロビンソン伯爵(B)…ジェロニモが連れてきた結婚相手


<あらすじ>
 

裕福な商人ジェロニモは、娘を貴族と結婚させたいと思っている。
しかし妹のカロリーナは、父の店で働くパオリーノとひそかに結婚していた。

父の思いを知ったカロリーナは、姉のエリゼッタにその役を押しつけ、父のジェロニモもそれを喜ぶ。


そんな中、ジェロニモの妹で未亡人のフィダールマはこの機に及んで、パオリーノと再婚しようとする。
そこに、ジェロニモの決めた結婚相手のロビンソン伯爵が現われる。

伯爵は、自分の相手が三人の女性の中で最も魅力の乏しいエリゼッタだとわかると落胆し、カロリーナが欲しいと言い張る。

とくにエリゼッタは怒り、事態を説明しようにも耳の遠くなっているジェロニモにはなかなか通じない。


さらに伯爵はカロリーナと結婚できるなら、持参金は半額で良いとまで言うため、ジェロニモも大喜びで承諾。

パオリーノはフィダールマに仲裁を頼みますが、かえって言い寄られる始末。


ついにパオリーノとカロリーナは夜に乗じて駆け落ちしようとするが、見つかってしまう。

父親はカロリーナを勘当しようとするが、伯爵がエリゼッタを選び、気を良くしたエリゼッタも妹を弁護するので、ここでめでたく2組の夫妻が誕生したのでした。


こちらでも前期後期にソロ試験があります。


課題は1800年までに作曲されたイタリア語のオペラアリア(コンサートアリアを含む)

ということで、モーツァルトが1756~1791年ですからそれ以降のロッシーニ・ベッリーニ・ドニゼッティあたりは規定外ですね。


他の人達は全員モーツァルト作品を歌うようなので私もモーツァルトかな?

なんて思っていましたが、先生からいただいた課題はチマローザ作曲「秘密の結婚」のカロリーナのアリアでした。

恥ずかしながら全く知りません。

お勉強していきましょう。


まずは作曲者から。
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★作曲者:ドメニコ・チマローザ(Domenico Cimarosa, 1749年12月17日 - 1801年1月11日)



ナポリの近郊アヴェルサに生れヴェネツィアで没したイタリアの作曲家。


レンガ職人の父と洗濯婦の母の貧しい家庭で生れたが、父は作業中に事故死。
幼い頃より楽才に優れている事が僧院のオルガン奏者の目にとまり、その援助を得て11歳でナポリ音楽院に入学。



•1771年(22歳) 最初のオペラで成功。


•1778年(29歳) ローマの各劇場からの作曲の委嘱で活躍する。
ローマ教皇の命令により女性は舞台に載る事ができない為、カストラート達が演じ歌ったという。


•1787年(38歳) ロシアの女帝エカテリーナ2世の招きでペテルブルクに行った。しかし満足な演奏家もおらず契約満了と共に去った。この頃、鍵盤楽器の為のソナタを作曲している。


•1791年(42歳) レオポルト2世の招きで、アントニオ・サリエリの後任としてウィーンの宮廷楽長となる。


•1792年(43歳) 代表作となったオペラ『秘密の結婚』を作曲。


•1793年(44歳) ナポリに帰る。オペラ『女の手管』作曲

•1794年(45歳) オペラ『ペネローペ』など次々に発表。


•1799年(50歳) 一時共和制が布かれた時、革命政府の要請で新時代の到来を賛える詩に作曲したため、王政復古後に反逆者とみなされ12月9日逮捕されて、ナポリを永久追放処分となった。友人と支援者の仲介がなければ打ち首となるところであった。


•1800年(51歳) 12月には拘禁と過労とで体力が衰える。


•1801年(52歳) 1月11日ヴェネツィアのフェニーチェ劇場から依頼された



オペラ作品は約70曲を数える。

その他レクイエム、オラトリオ、チェンバロ・ソナタ、オーボエ協奏曲など美しい旋律が印象的。

チマローザと同年生れのゲーテは彼の音楽を賞賛している。

ロッシーニが登場するまでは彼のオペラ・ブッファの全盛期であった。


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以上Wikiより。

オペラ『アルテミシア』は未完のまま急死した。チマローザの作品はヨーロッパの主要都市で公演されており、名声を得ていたから毒殺の噂が無視できず、ナポリ政府が4月に内臓疾患(胃癌)である旨を発表したという。
レオポルド2世が没後、宮廷楽長や作曲家の地位も重要性が希薄に。そのためかウィーンには執着しなかったようである。