私は、我が家を知ってる知人から見たら、恵まれた比較的裕福で理想の家庭なのかもしれない。


それは事実であるし、不自由な事なく暮らさせてもらえた。それには素直に感謝してる。


父の努力とキャリアでそのように生活させてもらえた。

お嬢様と呼ばれる時期もあったし、そうチヤホヤされた時もあるけど、私が凄いのではなく、父のキャリアと築いてきたものに、私が置かせてもらっただけで、私は何者でもない。


そんな私が辛い話をする事は、他人を不愉快にさせる。と何となく中学生の時に気付いた。


私はとても厳しく育てられ、行き過ぎる躾や不本意な事も沢山あった。



だけど、助けを求めようと思っても

「金持ちには分からない」「○○ちゃん(私)は贅沢」とか「恵まれてるもんね」


と言われ、
お金のある不自由のない暮らしをしてるだけで、幸せであるだろうし、文句を言う事はなかなか許されない雰囲気があった。


私の本当の苦しみや暗い歴史は誰も知らないし、そんな風に見られてると、【辛い】と言っても理解してもらえない。


それに、もはや言ってはいけない。そんな気にさせられたし、今でもそれはとても感じる。


「金持ちに、人の苦労や努力わかるはずがない」と言われると、

私にも苦悩はあったけど、私の苦しみは恵まれてるレベルで、相手の苦労や努力、不本意な事、辛かった事は、私以上で私が私レベルで辛い。など許されない。んだろうな。


と中高生で思い悩んだ。


お金があってお金の苦労がなくても、家庭が辛い私に逃げ場も吐口もなかった。


結局自分で抱えるしかないし、
確かに私は甘ったれで弱過ぎる面があったのも

今冷静に、評価できる。


勉強が苦手で、父の教わると6時間。
椅子に座らせ厳しい教育を受けると、鼻水も沢山出たが、父にはそれも逃げてる様に見え、後半はティッシュで拭く事も許してもらえなかった。
小学校高学年になっても、父との勉強時間は常に怖くトイレに行きたいとも言い出せなくて、何回も失禁した。
5時間過ぎると、私は震え出し発狂も伴っていたが、お陰で父に教わった科目だけ結果が伴った。
漢字も出来なくて500回書けば覚えると、沢山書いたが結局できないと沢山殴られた。

小2は、掛け算も覚えられず、夜中まで気が遠のくまで恐怖の中で勉強させ続けられた。
お出かけで車に乗っても、楽しいはずの外だけど渋滞になると地獄の時間となる。周りの車のナンバープレートの数字を足し算したり掛け算したり、問題が出来て、また勉強の時間となった。

父の手が動くたびに、私は体が反応し防御の体制をとって反射的に動いてしまうし、心がドキッと震えた。
父が私を叩かず、代わりに机を叩き父の指の骨が折れた事もあった。


母のその時の口癖は「言っても分からない子は叩いて体で覚えさすしかない」
家庭の教育での口癖は「家族の役に立てない人はこの家に要らない」とお手伝いをする事は家族でいる為の条件だった。


中3の時は、私がこれ以上勉強したくないから高校には行かない。と言ったら怒られて、工場に働きに行け!と、ボコボコに殴られて顔に17個アザとタンコブが出来たけど、母はそのアザに触れる事もなく、そのまま父の味方で放置された。


次の日1日学校を休んだけど、2日目のアザは隠せるはずもなかったが、学校の先生も、周りの大人も、私の顔を見てハッとしてたが、対応はしてくれなかった。


ただ、家庭教師の先生が何も言わずに、アザが早く治るという皮膚の代謝?を促すクリームを顔に塗ってくれた。


それは人口スイカの匂いがして、

私は今でもその人口スイカの匂いを探し求めてる。夏になるとハーゲンダッツよりもスイカバーが好きなのも、そのせいだと思う。笑

どうして、今涙が出るんだろう。


父は厳しかったけど、それは躾だったから、私に対する愛情はあったと思えてる。理由があるから理解出来たし許せる。


私が学校でいじめにあっても、両親は学校としっかり戦ってくれた。
全く愛されなかったわけではないし、

どちらかと言えば、私はすっごく愛されて愛されて大切に育てられた。と周りのみんなは見ているし、それはある意味正しいんだ。


だけど、私自身が愛されてると安心だと感じられなかった。

世間と現実との乖離に、子供ながらに戸惑い、
世間に見えてる絵を描かないといけない。と私は何となくそうして来た。


だからそんな私が、私達を知ってる人に、家での辛さを言うことなんて許されない訳で、理解して欲しい。なんて思ってる事が確かに恵まれ過ぎた欲なのかもね。


私何か精神疾患なのか適当に調べたんだけど、親も完全に悪いわけでもなく、全く愛されなかったわけでもないし、私がやっぱり欲深い甘ったれなのかな。

自分を紐解こうと思ったけど、まだ時間かかりそうだし結構面倒な作業だ。。。どうしようかな。