授業が始まり、忙しくなってきた。
ということで、ブログの存在自体を忘れつつあった![]()
昨日は、モスクワ弁論大会カザフ予選がカザフスタン日本センターであり、
私の教えている民族大から4名、外国語大学から1名出場した。
この予選での優勝者が今月末にモスクワで開かれる
モスクワ国際学生日本語弁論大会に出場することができる。
ライバル?の外大が1名。
「これはイケる」と思った。
しかし、甘かった・・・
結局外大の学生が優勝し、
有望視されていた民族大の4年生2人は次点となった。
原因は「準備不足」の一言に限る。
私自身、とても勉強になった。
国内予選ということで、
ルールとしては「原稿持ち込みOK」だったのだが、
しかし、実際弁論大会で原稿を読むこと自体が
興ざめである。
私がそこまで学生に徹底指導することができなかった。
さらに、私自身が質問者であり、
学生たちと質疑応答の練習ができなかった。
質疑応答は普段の日本語の総合的な能力が試されるため、
付け焼刃で練習してもあまり意味がない。
とはいえ、民族大の学生が質問した内容とは的外れなことを言っているのを見て、
いたたまれなくなった。
3年生の一人は弁論の途中からいっぱいいっぱいになり、
質疑応答のときも答えられなくて、「すみません」と言って、
席に戻った。
彼女は席に戻った後、原稿をびりびりに破いていたらしい。
私は「彼女は頑張った」と思う。
正直なところ、彼女は途中であきらめると思った。
あまり日本語ができる学生ではないし、
今までそれほど日本語学習に積極的ではなかったらしい。
クラスメートの友達は途中であきらめたが、
彼女はあきらめないで、何度も原稿を書き直し、
何度も事務所に来て、最後まで原稿を書き上げた。
それまで日本人とそんなに話すことはなかっただろう彼女が、
私と一対一で(カザフ人の先生も手伝ったけれど)、
真剣に取り組んだ結果である。
私はそのことを「素晴らしい」と思った。
確かに、レベルは低かったかもしれない。
国内予選に出すレベルではなかったかもしれない。
「民族大は大丈夫か?」と思われたかもしれない。
でも、私はプロセスが大切だと思う。
彼女にとって、この経験が、日本語学習を超えて、
彼女の人生の中で、何かの役に立てば、と思う。
私が、彼女の原稿をきれいに直すこともできたけれど、
そしてそれを全部暗記させることもできたけれど、
形だけきれいに整えることに何の意味があるのだろう。
確かに、大使館の所長やセンターの所長には、
色々と言われた。
「カザフスタン代表として恥ずかしくないスピーチを」という
こともよくわかる。
でも、教育は、結果がすべてはないはずだ。
とは思いつつ、
彼らの悔しそうな、悲しそうな表情を見て、
彼らにあんな顔はさせたくない、と思った。
「やりきった、悔いはない」という表情で終わらせてあげるためにも、
私はもう少しやり方を変えるべきなのかもしれない。
私は少し物わかりのいい教師を演じ過ぎなのかな・・・