好きな人には、喜んでほしい。
困っていたら助けたいし、疲れていたら支えてあげたい。
相手が望むことをしてあげたいし、自分にできることがあるなら、できる限り力になりたい。
大切な人を想って行動することは、愛情のひとつだと思う。
でも、ときどき考えてみてほしい。
私は、本当にこの人を愛しているんだろうか。
それとも、
この人に必要とされることで、愛されていると感じようとしているんだろうか。
この二つは、似ているようで少し違う。
「何かをしてあげたい」は、愛情?
恋人が忙しそうなら、自分にできることをしてあげたい。
相手が落ち込んでいたら、元気づけてあげたい。
相手が喜ぶ顔を見たくて、プレゼントを用意したり、予定を考えたりする。
そういう行動は、きっと愛情から生まれるものだと思う。
でも、同じように相手に尽くしていても、その奥にある気持ちは人によって違う。
「喜んでくれたら嬉しい」
という気持ちで行動することもあれば、
「これだけしてあげたら、もっと好きになってくれるかもしれない」
「私がいないと困ると思ってほしい」
「これだけ尽くしているんだから、私のことを大切にしてほしい」
そんな気持ちが、いつの間にか混ざっていることもある。
もちろん、誰かに喜んでもらいたい気持ちと、自分も愛されたい気持ちは、きれいに切り分けられるものではない。
好きな人に喜んでもらえたら、自分も嬉しい。
大切にした分、自分も大切にされたら嬉しい。
それは自然なことだと思う。
ただ、相手に何かをしてあげることが、自分の愛される価値を証明する手段になっていないか。
そこは、一度考えてみてもいいのかもしれない。
「私がいないとダメな人」でいてほしい?
たとえば、何でも自分がやってあげてしまう恋愛。
相手が困っていたら、頼まれる前に動く。
相手の予定に合わせて、自分の予定を変える。
相手が苦手なことは、いつも自分が引き受ける。
相手の機嫌が悪ければ、自分が何とかしようとする。
最初は、好きだから自然にやっていたことかもしれない。
でも、いつの間にか、
「私が支えなきゃ」
「私がいないと、この人はダメだから」
と思うようになっていたら。
少しだけ、自分の気持ちを見てみてほしい。
相手を支えたい気持ちの中に、
「自分が必要とされていたい」
という気持ちはないだろうか。
自分がいなければ困る相手でいてくれたら、自分の居場所がなくならない気がする。
自分が役に立っていれば、嫌われることも、離れていかれることもない気がする。
もしそんな気持ちがあるのなら、相手に尽くすことは、相手のためだけではなく、
自分の安心を守るための行動にもなっているのかもしれない。
もちろん、誰かを支えること自体が悪いわけではない。
ただ、「この人を支えたい」と「この人に必要とされていないと不安」は、同じではない。
そして、後者の気持ちが強くなるほど、相手のためにしているはずのことが、自分自身を苦しめることもある。
愛情は、頑張った量で決まるものじゃない
尽くすことに慣れている人ほど、何かをしてあげることで愛情を伝えようとする。
相手が求めることを先回りしてやる。
自分の希望より相手の希望を優先する。
相手が喜ぶなら、多少無理をしてでも頑張る。
そして、相手も同じくらい返してくれるとは限らないとき、
「私はこれだけしているのに」
と寂しくなる。
もちろん、一方的に負担を背負い続ける関係なら、見直す必要がある。
でも、そもそも愛情は、どちらがどれだけ尽くしたかを競うものではないと思う。
自分がしてあげたいことと、相手がしてほしいことは違うかもしれない。
自分が愛情だと思っている行動が、相手にとっては必要のないことかもしれない。
反対に、自分が何かをしてあげなくても、相手は自分のことを大切に思ってくれているかもしれない。
だからこそ、何かをしてあげることだけで愛情を表そうとするのではなく、
相手が何を望んでいるのかを聞くこと。
自分が何を望んでいるのかも伝えること。
そして、お互いが無理なく大切にし合える形を探していくこと。
それも、愛するということなのだと思う。
愛情は、どれだけ頑張ったかではなく、二人がどんな関係をつくれているかにも表れる。
相手を大切にすることと、自分を犠牲にすることは違う
好きな人のために、何かを我慢することもある。
相手の状況を考えて、今は自分の希望を譲ることもある。
それ自体は、悪いことではない。
でも、
「私が我慢すれば、うまくいくから」
「これくらいしてあげないと、愛されないから」
「私が頑張らないと、この関係は続かないから」
そうやって、自分が無理をすることを前提に関係を保とうとしているなら、少し立ち止まってみてほしい。
相手を大切にするために、自分を犠牲にし続ける必要はない。
自分の気持ちを伝えることも、相手に頼ることも、できないことをできないと言うことも、愛情を失う行為ではない。
むしろ、自分の気持ちを隠し続けていたら、相手は本当の自分を知ることができない。
自分が何を望んでいて、何が苦手で、何に困っているのか。
それを伝えながら、お互いにできることを考えていく。
そうやって初めて、どちらか一方が頑張り続けるのではなく、二人で関係をつくっていける。
相手を大切にすることは、自分を大切にしないことではない。
あなたは、何もしなくても愛されていると思える?
少しだけ、自分に問いかけてみてほしい。
もし、相手のために何かをしてあげられなくても。
もし、相手の役に立てない時期があっても。
もし、相手の期待に応えられないことがあっても。
それでも、自分は愛されていていいと思えるだろうか。
もちろん、何もしなくても無条件にすべてを受け入れてもらえる、という話ではない。
お互いを大切にする努力は必要だし、関係を続けるために向き合わなければいけないこともある。
でも、何かをしてあげられる自分でいなければ愛されない、というわけではない。
役に立つから、一緒にいる。
尽くしてくれるから、好きでいる。
いつも自分を優先してくれるから、離れない。
そんな理由だけで成り立つ関係ではなく、何かをしているときも、何もできないときも、
一人の人間としてお互いを大切にできる関係。
そんな関係を築くためには、相手に何をしてあげるかだけではなく、
自分が何を求めているのかも知っておく必要があるのだと思う。
愛することは、相手の人生を背負うことじゃない
誰かを愛すると、その人の力になりたくなる。
幸せでいてほしいと思うし、困っていたら助けたくなる。
でも、相手の人生を生きることはできない。
相手が抱えている問題を、すべて自分が解決することもできない。
相手が選ぶこと、乗り越えること、成長することまで、代わりに引き受けることはできない。
できるのは、必要なときに手を差し伸べること。
相手の気持ちを聞くこと。
自分にできることを考えること。
そして、自分自身の人生も大切にしながら、相手と向き合うこと。
愛することは、相手の人生を背負うことではなく、相手の人生を尊重しながら、自分の人生と一緒に歩いていくこと。
相手を大切にするために、自分がいなくなってしまう必要はない。
相手に必要とされるために、自分の価値を証明し続ける必要もない。
あなたは、愛したい? それとも、必要とされたい?
誰かに尽くしたくなること自体は、悪いことではない。
好きな人の喜ぶ顔が見たい。
力になりたい。
幸せでいてほしい。
そう思えることは、愛情のひとつだと思う。
ただ、その行動の奥に、
「必要とされていないと不安」
「何かをしてあげないと、愛されない気がする」
「相手にとって特別な存在でいなければ、捨てられてしまいそう」
という気持ちが隠れているなら、一度、自分の心にも目を向けてみてほしい。
私は、本当にこの人を愛しているんだろうか。
それとも、この人に必要とされることで、自分の居場所を確かめようとしているんだろうか。
その答えは、すぐに出なくてもいい。
ただ、相手を大切にするのと同じように、自分の気持ちも大切にしてほしい。
誰かを愛するために、自分を犠牲にし続けなくていい。
相手に何かをしてあげられるから愛されるのではなく、お互いを一人の人間として大切にできること。
そして、自分の人生を生きながら、相手の人生も尊重できること。
私は、そんな愛し方を大切にしてほしいと思う。
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