今朝、探し物をしていて棚の中をあさってたら、3年前の手帳が出てきました。
そこには、まだ息子Jを妊娠して間も無く、つわりで寝たきりだったときの私の想いを書いていました。
そこに書いていたのは、
富士の麓で生きているということは、赤ちゃんが母のお腹で生きているようだと。
赤ちゃんは母のお腹で、たくさんの愛に包まれ、そのぬくもりに育まれ、無償でその栄養をもらい生きている。
それは、まるで、富士からの恵みを余すことなく我々がいただいているようだと、ふと頭の中にそんな考えが浮かんできました。
私はここに暮らしているのではなく、
ここで生きている。
富士山に生かされている。
富士山は母親そのものだと。
今でもその感覚はなんとなく感じ続けています。