この前のセミナーで、先生が
自分の運命に素直であること」「素直なこころ」が意識次元を開くのよ~♪と言っていた。
自分の魅力や運命を受け入れる
願いと行動をそろえる

セミナー以来、「素直」ってどんなだろう?と、わたしのなかでぶら下がったままでした。

わたしは、「素直じゃない」とか「頑固だ」とか、「わがままだ」とか言われて育ちました。
でもわたしの周りにいた大人が言う「素直さ」と先生の言う「素直さ」は違うと思った。
みんな、自分に従順になって欲しくて、わたしに、「あんたは素直じゃない」と言ったんだ。
ある意味わたしは自分に正直で素直だったから、周りの言うことに従わずに「頑固」で「わがまま」だったんだわ~♪

でも反面、本当に頑なで受け取り下手です。
頼んだり甘えたりも下手。
この辺、ホント可愛くないです。
きっと自分のことも他人のことも、受容出来ていないんだろうなぁ。

ひたすら受け取り、自分の心を、感謝で満たす。しばらくはそんなのがテーマかなぁと感じています。


わたしの子ども達は、義両親から「素直だ」とよく褒めていただけます。
わたしはそれを褒め言葉と感じられなかった。
「従順な子」と勝手に転換していた。

でも最近、うちの子どもらは素直なのか?と考えてみたら、
ものすごく素直だ!と気づきました

自分の気持ちにまっすぐで、
願いと行動は揃っている
素直なこころ、と真逆の「恐れや不安」が一切ない
親や世界を信頼しきっている。

あぁ、義両親は自分に真っ直ぐに生きている、という意味で、本当に褒めてくれてたんだなぁと気付きました(。-_-。)


ただ、うちの子らの素直さはとても危ういとも思いました。


一昨日、うちの大家さんが庭木を剪定して、枝を掃除していた。
娘が「なんでそれしてるの?」と聞いたら、大家さんが
「お庭をキレイにしないと幸せの神様が来ないんよ」と言ったみたい。
娘がそれを教えてくれて、わたしは便乗して、
「そうだよー。お家の中もキレイにしないと、幸せの神様が入ってこないよー。だからお片づけしてっていつも寝る前にママ言うでしょう」
「なんで入ってこないの?」
「・・・汚いところには誰だってきたくないでしょ?」
「いつもいるの?」
「神様はどこにでもいるよ♪」
「どんな姿なの?」
「神様は見えないよ」
・・・とひとしきり質問してきて、
「そうかー」と納得した様子で、それからは「幸せの神様がー」と言いながらお片づけをするようになりました。

ちょっと便乗したことに対して、これでよかったのか?と。
いいことを教えているし、片付けを気持ちよくしてくれたらいいなぁと思ってのことでした。
でもいつも子ども達に伝えている神様のあり方に反していたなぁと。
神様は常に自然のなかに、子ども達の中にいるはず。
本当は、掃除をしないといい「気」とか「エネルギー」が入ってこない、という言い方が自分的にはあっている。
しかも、その考えすら絶対ではない。

でも「気」とかいっても幼児には説明難しいし!
わたしもよくわかんないし!

でも誠意のない対話をしてしまったなぁと。

子ども達はなんでも素直に受け入れるので、ある意味怖いなぁと改めて感じてしまいました。

こうじゃないと罰せられる、
こうあるべき、と、価値観をどんどん植え込もうとしたら簡単に出来てしまいます。

大人はああだよ、こうだよ、と教え込まず、
あなたはどう考える?どうしたい?
と言うのがいい。
自分の考えを伝える時は、あくまでわたしの考えであって、絶対ではないことを伝えるのがいいなと改めて感じました。


わたしたちはそうやって、大人に植え付けれた価値観で自分の魅力、可能性がわからなくなってしまった。
自分の力を信じられなくなってしまった。
常に親の理想像と比べられて、本当の自分はいつもマイナスの人間だった。

でもそのしがらみから脱皮すること。
「素」の自分に「直る」こと。

まずはここなんだなと。
だから、子どもたちがとても素直な存在に思える。

だけど、子どものように素直なだけではダメで、やはり成熟した部分も必要。


アナと雪の女王の「ありの、ままの~♪」はやっぱりキーワードだよね^^


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昨日は子どもらと梅ジュース(シロップ)をつけました。
梅の汁が出やすいように実にぶすぶすと刺す!と書いてあったので手伝ってもらいました(*^_^*)