老いるということ | まほう の ことのは

まほう の ことのは

幸せの種は貴方の中にあります。

自分らしさに繋がって、
あなたという花を
一緒に咲かせてみませんか?


『老いれば老いた分、

 命の年月を重ねた分だけ

 病気にもなるものじゃよ。


 病気になるのは

 たいていが不摂生や

 ストレスの結果導かれるものだと

 多くの者が思っておるが


 この世に生きている者たちには

 半分は正解で

 また半分は気づいていない答えがある


 心を存分に尽くしたからこそ

 病気になる ということもあるのだよ


 例えば 心病む者は

 心を精一杯使った結果

 病気を引き起こすこともある

 

 人は

 弱い部分に

 病気ができると思っておるが

 それだけではなく

 その者が尽力した部分が

 病気という形で現れているにすぎぬ


 光と闇は表裏一体


 ひとつのものに対して

 どう反応するかということだけじゃ


 私を見なさい


 私は十分生きた


 十分生きたからこそ

 朽ち果てる枝もある


 しかしその部分は

 私が精一杯生きた証なんじゃよ


 私はそれがとても愛しいんじゃ』


       おばあちゃんの木より



~今日はどんと祭。

  

 青麻神社へ息子と向かった。


 青麻神社には私の大好きな木がある。


 樫の木ちゃんとおばあちゃんの木。


 今日も木々に話しかけた。


 帰り道、母の病気で悩む私に

 そっとおばあちゃんの木が

 大切な話をしてくれたんだ。


 

 胸があつくなった。


 私は母の苦しみ・悲しみを理解したつもりでいた。

 

 でも、ちっとも理解していなかったんだね。


 母は、頭で、心で一生懸命考えて、

 感じたからこそ、

 今、アルツハイマーという病気を選んだんだ。


 いっぱいいっぱい

 さまざまなことに心を痛め、悲しみ、苦しんだこと。


 おばあちゃんの木のことばで

 本当の痛みというものが分かった気がする。


 そしてきっと病気も豊かさも

 その人が精一杯生き、感じた結果現れるのだということ。


 朽ち果てる枝さえも

 愛しいと堂々と言えるおばあちゃんの木が

 無条件の愛をたずさえていて

 そのすごさと

 自分のちっぽけさを感じた。


 ちっぽけな私。

 

 でも


 大切なことを教えてもらったから

 そのことばを胸に生きてみるよ。


 おばあちゃん、ありがとう。

 そっと見守ってくれて聞いてくれた樫の木ちゃん、

 ありがとう。


 また前に進めそうだ。~