色んな有名人の訃報聞くたび思うこと。

どんな有名な人も、大金持ちの人も、立派な人も、才能に溢れた人も、普通の人も、いつかは死ぬ。

今までに、肉親や、大切な人や、友人や、先輩や後輩の死があった。

みんな一度は死ぬ。

自然界は平等だ。

地位も名誉もお金も関係なく、もれなく一度は死ぬ。

 

月並みな言葉にはなるが、一生懸命、後悔ないように、生きなあかんな、と思う。

出来るだけしたいことをして、嫌なことをしないで、自分にとっての真実だけを信じようと思う。

死ぬ時は、オモロイ人生やったなぁ、って思いたいな。

あ、そのためには、オモロイ人生にせなあかんわ

 

セッションを受けたら変わりますか?治りますか?と聞く人がいる。変わる、治るは本人次第なのでわかりませんとお答えする。自分自身が変えたり、変わったり、治ったりするわけで、わたしが変えたり、治したりは出来ないと思う。そういう事は、本人と見えない世界とわたしの三位一体の共同作業だと思っている。
そういうつもりでなければうまくいかないと思っている。

変えてもらう、治してもらう、と思っているうちは、なかなかそうなっていかないというのがわたしの考えだ。
すべて自分の中に答えはあるとよく言われるが、その答えを引き出すやり方は、なかなか難しいのだ。わたしは我流でそれをやってきたが、ずいぶん遠回りや効率の悪い事をしたと思う。しかしおかげでその道のスペシャリストになれた。今はそれをお伝えしていきたい、そのノウハウを個人セッションに生かしていきたいと思っている。

 

仮に身体が曲がっているとする。
曲がったものはまっすぐにすればいいじゃないかと身体を調整するのも一つのやり方だけど、曲がるには、曲がる理由があるのだとわたしは思う。曲がっていなければならない事情があるのだと思う。それを物や機械を修理するように物理的に治しても、曲がっていなければならない事情がなくならない限り、また曲がるだろうと思う。
曲がっては目先で治すというという事を繰り返すと、曲がる事が出来なくなった「事情」は、また、別の形で他のところに出てくるだろう。
身体が曲がり続けられなかったら、内臓に出たり、精神的な不調に出たり、あるいは、不都合な出来事となって出る事もある。

わたしはきっとその「事情」探しの旅のお供をするのだろう。
変わっていく事、治っていく事にただ立ち会い、そのために必要な、その方の持っている答えを、翻訳してお伝えし続けるのだと思う。

根本のところで解決したらすべてが変わる。二度と元に戻る事はない。
そのプロセスを体験した人はまた違う不都合が出たとしても、次は自分で対応できるようになる。

そのプロセスが、ヒーリングであり、自分と向き合い、自分を知るためのツールがチャネリングなのだと思う。

 

6月から、「魔法のヒーリング講座」「魔法のチャネリング講座」始めます。

自分を癒すことは、世界を癒す事に繋がり、自分を癒すためには自分をよく見つめること、自分の奥に眠っている本来の自分自身とつながることが必要です。そのために使えるヒーリングやチャネリングをお伝えします。

プロになるためとかそういうんじゃないからね。これ。
但し、身につけたらつまらんプロよりずっとすごいことになると思う。

 

 

 

 

 

ざっくり説明してみる

2022年の初め頃、友人との待ち合わせに向かっている時、いつも通る交差点の名前が「高須神社前」と言うのだけど、もう何年とそこを通っているのにその神社がどこにあるのかも知らないことに気づいた。
交差点を通りながら、注意して見てみると、脇にある公園の中に神社っぽい建物の屋根のようなものが見えて、初めてそこに神社があるのを認識した。車を停めて行ってみるとかなり不思議なところだった。公園の中にオープンな感じで建っていること、建物が普通の家のような作りなのに屋根や入り口が神社のデザインになっていることなど、違和感があった。由緒を見てみると、その神社がある堺市は昔から鉄などを使った産業が発達したところで、江戸時代に鉄砲を作っていたらしく、高須神社は鉄砲の神様として祀られたのが起源とされていた。現在は、鉄砲産業はないため、包丁の神様になっている、とのことだった。

わたしは、その時非常にモヤモヤした。
鉄砲は戦さの道具である。戦さの道具であるということは、人を殺す道具である。神様を人殺しに使っている。
モヤモヤした。とても、モヤモヤした。

いくら今は包丁の神様になっていると言ったところで、そこに祀られた起源が人殺しを助ける神様ってありなのだろうか?

「解放してほしい」と言っているような気がした。
「そんな役割はそもそもゴメンなのだ」
と、どうやら言っているように感じる。

「嫌ならやめたらいいやん」
「そうはいかんのだ」
その神様が言うには、人間が役割を与えたり、名前をつけたりしてそこに祀られてしまうとそこからおいそれとは抜ける事ができない。それなりの呪詛のようなものが掛かっている。人間が掛けた呪詛は人間が解かねばならない。

「それは、わたしがやってもいいの?」
「もちろんだ」
というわけで、わたしは、そこにいた神として祀られていたエネルギーを解放した。
自由に自分のやりたいことをしたらいい、今までありがとうと言って送り出した。
神社はもぬけの殻になり、ただの家になった。

不思議な出来事だったが、その辺が色んなことの始まりだったように思う。

外にあるものは内にもある。
外にあるエネルギーを解放することは、自分の内にある何かのエネルギーを解放することになる。
そうして、おそらくわたしの中に隠れていた扉がひっそりと開いたのだ。わたしも気付かないうちに。

これがちょうど1年ほど前の話だ。
それからこの一年、たくさんのエネルギーを解放したと思う。
神社の神様的なエネルギーともたくさん対話をした。わたしがメンターと思っている人が主催するパワースポットと言われる色んな場所のエネルギー解放ワークにも参加した。自分のエネルギーも調整したり解放したり癒やしたりしたし、メンタル的な面でも、多くの事に気づき、もう何もないだろうと思っていてもまだまだ未消化のものがあったのだという事にも気付かされた。
ご存知の方もいるかも知れないが、一時は死ぬかもしれない、と思う出来事もあった。
それらのことで、わたしの価値観、世界観、自分自身の生き方、これからどう生きるのか? などということも、ぐるっとひっくり返ってしまった感がある。

話したいことは、たくさんあるが、とりあえず、今日はここまでかな。

一つ言えるのは、これからは、躊躇せず、怖れず、出し惜しみなく全出しで行こうと決めたこと。
何事においてもそれで行こう、ということ。

そのスタンスで、第二期「魔法のヒーリング講座」「魔法のチャネリング講座」を夏至のころから始めようと思う。
自分の感じてることや、直感的にわかることが、あまりにも他の人と違うので、ちょっと自分が特殊すぎて、少数派すぎる、だから言っても多分理解されない、伝わらない、どころか、下手したらややこしい事になったり、炎上ものだと思って色々言わずにきて、自分の中だけでひっそりと探求していた。だけど、それらのおおかたは、時が経つと、「やっぱりそうやったんや」となることが結構あった。

そういうことの中に、とても大切なメッセージがたくさん含まれていた。
わたしが考えたことではない、わたしの知識ではない、どこからかメッセンジャーとしてのわたしに伝えてほしいと託されていたのだと今頃気づく。そして、それがわたしの道だったのだなと思っている。
見えないエネルギーの世界のことを知り、それを活用するためには、ヒーリングとチャネリングというツールがとても使いやすい。
スピリチュアルなんかどうでもいいし、運気あげるとか、金運あげるとか、パワーをもらうとか、次元上昇とか、全部どうでもいい。
何より、自分を知り、世界を知り、その中心に自分を置き、自分が生まれた意味を生きることが幸せにつながると思っている。
みんなそのために、この世界に生まれてきたのだから。
そういうことを全うするための、「魔法のヒーリング講座」「魔法のチャネリング講座」だと思っている。

興味ある方は、申し込みフォームをご覧ください。

この一年のことは、盛りだくさんにコッテリと、これから追々書いていこうと思う。

魔法のヒーリング講座、チャネリング講座はこちら。
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