こんにちは
まほろです
築95年の夫の実家をリフォームして
行ったり来たりの二拠点生活をしています
日本の生活を外から見る
外国人に日本語を教えるボランティアをしていて、時々日本の生活のことを質問されます。
以前、当時教えていたタイ人の女性の家に行ったときのこと。
「先生、ココア飲みますか?」
「ありがとう!」
「先生、コップはどれがいいですか?」
「え?どれでもいいよ〜」
すると彼女が困った顔で
「そうじゃなくて、わからないんです。教えてください」
テーブルには、マグカップやティーカップ、ガラスのグラス、湯呑み茶碗などが置いてありました。
遊びに来ていたもう1人のタイ人女性も
「私もわからないです。教えてください」と真剣な顔で見つめてきます。
あ、そうか。
暑い国のタイでは、温かいココアを飲むと習慣がないのかも。
「ココアは熱いから、取っ手のついている厚いマグカップがいいね。
お湯呑みはお茶か水を飲むのに使うもので、ガラスのコップは冷たい物を飲むのに使うのよ。」
タイ人の彼女たち、頷きながら聞いています。
習慣から生まれた食器
「日本にはたくさん食器がありますね。
何に使えばいいのかわかりません」
何年も日本で生活していても、こういう事は誰にも教わらなかったのだそうです。
2人とも日本人と結婚しているけれど、食器のことは男の人達はあまり興味がないかもしれませんね。
「じゃあ、お茶碗とお椀の違いはわかる?」
「いいえ…」
「お茶碗はご飯を食べるもので、たいてい陶器なの。
お椀は味噌汁とかスープを飲むもので、日本ではお椀を持ち上げて飲むから、熱くないように木のお椀を使うのよ」
彼女達の文化では、スープはテーブルに置いたままスプーンですくって飲みます。
持ち上げないからか金属製の食器も多いようです。
日本では湯のみにしても、お客さんには薄いお茶碗でぬるめの玉露などを出すし、
普段は厚めの湯呑みで、番茶やほうじ茶などのアツアツのお茶を飲みます。
なるほど、理にかなってる。
理に叶うとは愛があること
理にかなうとは、用途に合わせて、それを使う人の立場に立って作られていること。
使う人が使いやすいように考えられていること。
つまり、使う人への愛があること。
食器に限らず、日本製は隅々まで使い手への配慮があります。、
サランラップが使いやすいのは有名だし
食品のパッケージには、開けやすいように切り込みが入っている。
実は、切り込みなんて当たり前だと思っていました。
でも以前中国に住んだ時に、そういう日本の親切な配慮が当たり前ではない、と知りました。
食品のパックを開けるたび、開け口のあの三角の切り込みがないばかりに、いちいちハサミで開けないといけないのが面倒くさくて。
あの小さな切り込みの有り難さに気づいたのです。
使い手を考えて作るのは、ありがたいこと。
それが日本では当然のようにされているなんて、
実は素晴らしい事なんですね。
私たちは、そんな理にかなった
愛のある文化の中に生きている!
はぁ〜幸せ💕
気づけてよかったです!
今日も最後までお読みいただき
ありがとうございます