「50代にしておきたい17のこと」(本田健著)という本をつまみ出して、

再読していたら、思わず腑に落ちた下りがあった。

〇好きか嫌いかで決める

〇嫌ならノーと言う

〇断る時の一瞬の罪悪感

〇心が軽くなることだけやる

〇「ごめんなさい」の達人になる

〇できることとできないことの線引きをする

 

先日、来年度の仕事について依頼がありました。

ひょっとして来るかもと思っていましたが、

緊急事態だそうで、頼まれたこと自体は

嬉しいことだったのですが、自分の人生のことを考え、

75歳までにできることはやろうと思って、

コロナも落ち着いてきた折、

やっと自由に色々なことができる時期がやってきたので、

来年度はやれることはやってしまおうという気持ちでいたので、

随分悩みましたが、一旦は断りました。

ただ、最終的に学校がどうしても困っていたら、

その時はお手伝いさせてもらうかもしれませんが、

そんな事態が起こらないことを願っています。

僕は長年教員をしてきましたが、

教員という仕事について、自分に合っている部分と

合っていない部分があるとずっと思ってきました。

合っていないというか、教員に向いていないという表現をしてきましたが、

どういう点が向いていないかというと、

元々教員の仕事は感情労働という面があり、

仕事上、感情を抑えたり、無理に変えたりしなければならない職業だと

いうことを退職してから認識するようになり、

ああ、自分が教員に向いていないと感じるのはその感情の部分なんだろうなと思います。

要するに、子どもを目の前にすると、自分を抑えなければならない部分が多分にある。

僕はいつも笑顔で人に接する人間なので、その笑顔を抑えることになる。

たとえば、授業の場面で自分が生涯行ってきた授業のうちのたぶん80%くらいは

英語が嫌いな、苦手な子どもを相手に行ってきたと思う。

当然、子どもたちは嫌いで苦手な科目は面白くもないし、

嫌だと思う。当然、授業には集中できないし、(もともと集中できない子どももたくさんいる)

やりたくないから他のことをしたくなるのは当然のことだと思う。

それを僕たち教員は無理やりに授業に参加させ、勉強させる。

優しい顔をしていたら、授業に集中できない子らをこちらに向けるためには、

厳しい態度で臨むしかない。まあ、そうすると今度は子どもたちは「寝る」という行動に出るのだが。。。

そんなわけで授業中はできる限り怖い顔をして自分の本来の姿を抑えているわけで、

本当はそんなことはしたくない。

そういう意味で向いていないと思っていたのだと今になって思います。

だから、もう授業をしなくていいのなら、しない方がいいと感じているのです。

そして、ちょっとしたことで子どもたちとすれ違いが起こり、関係を崩してしまうなんて

悲劇なのです。

一度壊れるとほぼ元には戻らない。滅入った気分のまま、一年を終わるのです。

現役時代は仕事だから仕方なくやっていたけれど、

もう無理してやることはないのだから、やらないという選択をするということです。

 

〇心が軽くなることだけする

その通り、授業は心を重くする。だからやらない方がいいに決まっている。

もちろん、うれしいこともないことはないけどね。