『たったひとつだけ』




学校帰り

新緑が眩しい並木道を歩いていると

「みてみて、可愛い〜」

綿あめみたいな子犬と散歩している少女とすれ違って、思わず隣にいた彼の腕を引っ張って教えてあげたのに

「なにが?」

びっくりするくらい興味なさそうな声が返ってきた

「決まってるじゃない、わんちゃん。あっ、でも飼い主の女の子も可愛いかった!」

「おまえはなんでもかんでも『可愛い』って言うよな、作家の親父さんが泣いてるぞ」

うっ

たしかにわたしは動物でも植物でもすぐに可愛いって言っちゃうし、語彙力がないのもちゃんと自覚してる

だから

「それは言わないで欲しいんだけど…でも、さっきの子犬はほんっとに可愛いかったよね?」

「さあな」

心底呆れたような顔をしている彼だって

「ちっちゃい時はすご〜く可愛いかったのになぁ」

「なんだって?」

「なんでもありません。じゃあ、またね」

バイトに行く彼とは一旦そこで別れ、日が暮れたころに差し入れを持ってアパートに行ったのだけれど

「来てたのか、ただいま」

「おかえりなさ…あっ!?」

帰宅した彼が部屋に入ってきた途端、困った事態に陥ってしまった

「今度はなんだよ?」

「えっーと、その…」

どうしよう

でも、他に言葉が見つからないから言っちゃおうっと

「可愛いなぁ、って思って」

「はあ?」

顔をしかめた彼の髪に腕を伸ばし

「じっとしててね」

そっと両手で包み込んだ小さな赤い宝石を、指の隙間から見せてあげると

「てんとう虫?」

「うん、髪の毛にくっついてて可愛いかったから」

「……」

「そんなに嫌そうな顔しなくっても…あっ、行っちゃった」

窓から外に放したてんとう虫が夜空を飛んで行くのを眺めながら

「ねぇ、なにかを可愛いって思うこと全然ないの?」

答えは「NO」だとわかりきっている質問をしてみると、たっぷり10秒以上の沈黙ののち

「…ひとつだけ、ある」

「えっ!?」

思ってもみなかった答えが返ってきてドキッ‼️とした次の瞬間、後ろから緩く抱きしめられた

「なんだかわかるか?」

しかも追い討ちをかけるように、耳元ででそんなことを囁かれたら

「ええっと、その…」

期待、しちゃってもいいのかな?

心臓が壊れそうなくらい高鳴って、なんて答えたらいいのか悩んでいると

「おまえって、やっぱり…」

あっさり腕の鎖を解いた彼が、片手で口を抑えて笑いはじめた

「また!?もう!」

からかわれたのだと気がついて、さっきまでとは別の意味で真っ赤になったわたしの頭を軽く叩いて

「冗談だよ」
 
なぜかそっぽを向いてしまった彼の本音は、よくわからないけど

「冗談って…」

いったい、どこからどこまでが?

「ひとつだけある、ってとこはほんとかもな」

「それって、えっ!?」

『しまった』という表情をして額に手を当てた彼の横顔は

やっぱり、すごく可愛かった



fin