『淡雪』





「悪い、遅くなって。」

久しぶりにバイト帰りに彼女の家に行く約束をしていたのに、かなり遅い時間になってしまい謝ると

「ううん、それはいいんだけどなにかあったの?」

「急に残業頼まれて…っていうか。」

3月になって以降ずっと暖かかった気候が今日は一転、雪が舞っているほど冷え込んできたというのに

「なんで家の中にいないんだよ?」

彼女は門の外に出て俺が来るのを待っていた

「あのね、雪が降ってたから…」

「雪が降ってんだから、こんなとこに突っ立ってたら寒いだろ。」

しかも、辺りはすっかり暗くなっているのだから家の前とはいえ危険がないとは言い難い

「寒いけど…きれいだと思わない?春に降る雪って淡雪って言うんだって。ほらっ、ふわふわしていて地面に落ちたら消えちゃうから泡みたいでしょ?」

夜空を見上げてそう言うと、雪のかけらを手のひらに集めて楽しそうに笑っている

なんというか

「子どもじゃねぇんだから、雪くらいではしゃぐなよ。」

「え〜、せっかくロマンチックな気分に浸ってたのに。」

「はあ?」

「雪の中を走って来てくれたでしょ?白馬に乗った王子様が現れたのかと思っちゃった。」

なんでこいつは、こんな恥ずかしいセリフを照れもせずに言えるんだろうか

「……頭でも打ったのか?」

「打ってません。ところで、今夜はどうしたの?」

不毛なやり取りをしているうちに、こんな時間に会いに来た理由を不思議そうな顔で聞かれてしまった

「ああ、えっと…だからアレだ。」

「アレって、なあに?」

キョトンとしてこっちを見ている彼女の手に、コートのポケットから出した小さな包みを握らせた

「だから、ほら先月のバレンタインの…」

「えっ!わざわざお返しを持って来てくれたの?」

予想の十倍くらい驚かれてしまい、慌てて言い訳をする羽目になる

「いや、違うんだ。買い物に行ってたまたま目についたって言うか…しかも普通のマシュマロだし。」

中身はただのありふれた菓子で、そんなに喜んでもらえるようなシロモノではない

「それでも、すごく嬉しい。」

冷え切った小さな指先がふいに首筋に触れたかと思うと

「え…」

彼女から重ねられた唇は、かすかに触れた感触だけを残してすぐに離れていってしまった

「お返しの、お返し…なんちゃって。」

さすがに恥ずかしくなったのか、うつむいて黙ってしまった彼女に胸の奥が熱くなり

「あっ…」

幸せな気持ちが淡雪のように消えてしまわないようきつく抱きしめ、時間を忘れて口づけをした





fin