『swim』




「…滝行にでも行って来たのか?」


アパートのドアをノックして出てきた彼は、上半身だけびしょ濡れのわたしを見るなり驚いた顔でそう言った

「とりあえず、タオルを貸して欲しいんですが…」

「ったく、ちょっと待ってろ」


日曜日の夕方


明るいうちにバイトが終わると聞いていた彼の部屋に差し入れを持って来る途中

お庭で水まきをしていたらしい老婦人が手から落としたホースが暴れてパニックになっているところに出くわして

「一緒にホースを捕まえてあげようとして、こんなことに」

「先に水道の蛇口を止めればいいだろう、バカ」

「そっか、そうだよね」

玄関先で水の滴る髪をタオルで拭いてくれながら彼は呆れたようにため息をついた

「いいから中に入れ、風邪引くぞ」

「おじゃまします」

部屋の中で濡れてしまったトレーナーを脱いで彼のジャージに袖を通すと

「ほらっ、こっちに来い」

「えっ?」

ドライヤーを手にした彼に手招きされた

「か、乾かしてくれるの?」

「いいからさっさと来い」

彼を背にして正座すると、タオルで優しく水分を取りながら丁寧にドライヤーをかけてくれた

「いつも大変だな、こんだけ長い髪乾かすの」

20分近くかかってようやく湿り気の無くなった髪を指で梳きながら彼がつぶやいた

「ごめんなさい、疲れたでしょう?ありがとう…って、ああっ!」

持って来た差し入れが無事か気になっていたわたしは、立ち上がろうとしてすっかり足がしびれていることに気がついた

「正座なんかしてるからだ」

「だって…」

彼に髪を乾かしてもらうのなんて初めてで、なんだか緊張しちゃったから

「しばらくじっとしてろ」

耳元でそう囁かれた次の瞬間、座ったまま後ろからそっと抱きしめられた

「12月に水遊びするって何の冗談なんだよ、こんなに冷えきっちまって」

「水遊びじゃありません、一応、人助けのつもりなんだけど」

「おせっかいもほどほどにしとけよ」

そう言ってさっきよりもきつく、体を包み込むようにして温かい腕に閉じ込められて一気にわたしの体温も上昇していき

ドクドクという音が聞こえそうなほど早まる胸の鼓動を気づかれないように慌てて話題を変えてみる

「み、水遊びって言えば中学の臨海学校で泳ぎを教えてくれじゃない?ちょっとスパルタだったけどとっても嬉しかったなぁ」

「いきなり何の話してんだよ、そんな昔のこと覚えてねぇよ」

戸惑うような口調でそれでも少し照れている様子から、彼も絶対に忘れていないって確信して

「でも、結局は今もほとんど泳げないままで…せっかく教えてくれたのにごめんなさい」

「べつに泳げなくったっていいだろう、いざとなったらおまえは魚にでも噛み付いて変身すりゃあいいんだし」

それはそうなんだけど

「自分で泳げた方が楽しそう」

「さっきから何の話だよ、おまえこそいつも自分が言ってることを忘れたのか?」

「えっ?」

「ムードぶち壊すなってやつ」

やっぱり、そうなるよね

体の向きを反転させられながら唇を重ねられ、そのままゆっくりと畳の上に押し倒されて

「あ、あの…」

体重を掛けないようにわたしに覆いかぶさった彼の温もりに息が出来なくなりそうなくらい胸が熱くなって、だんだん意識が遠のいていく

そして

「おとなしく俺の腕の中だけで泳いでてくれ」

握りしめられた手を引かれ、ふたりで深い海の底へ落ちて行くような気がした



fin