『mistake』
「あらっ、早かったのね。」
「ただい…えっ?」
夕方、バイトを終えまだ明るいうちにアパートに帰ると
「なんでここに…」
彼女ではなく、おふくろがいた
「まぁ、ご挨拶ねー。久しぶりに母親と顔を合わせたって言うのに。」
「いや、だからなんでこんなところにいるのかって聞いてるんだけど?」
「なんでって、可愛い息子にたまにはご飯でも作ってあげようと思って。」
可愛い…はこの際無視するとして
言われてみれば
久しぶりに会うおふくろは魔界でのドレス姿ではなく、二人で暮らしていた時のようなシンプルな格好にエプロンまでつけている
「あいにく、試合が近くて減量中なんだけど。」
今ひとつ突然おふくろがやってきた理由が納得出来ない苛立ちから、つい冷たい言い方になってしまう
「知ってるわよ、ちゃんと教えてくれたから。」
「教えるって、彼女が?」
「他に誰がいるのかしら?ついでに合鍵も貸してくれたわよ。」
さっきから気にはなっていたが
今日のおふくろは笑顔のように見えて目が笑っていない
「で、今度はなにをして彼女を傷つけたのかしら?」
「はぁ?」
何を言い出すのかと思えば
「何か誤解してるんじゃ…」
「誤解?じゃあどうして彼女がわざわざ魔界のお城まで、あなたに会いに来てあげて欲しいなんてお願いに来るのかしら?」
「だから、それは…」
数日前の夜
アパートに来てキッチンでお茶を淹れてくれていた彼女に声をかけようとした時
連日の激しいトレーニングと減量で朦朧としていたせいもあって、うっかり間違えて呼んでしまったのだ
彼女のことを『おふくろ』と
キョトンとした顔をした後吹き出した彼女に「ごめん」と謝ってその場は収まったのだが
翌日から俺がおふくろを恋しがってるんじゃないかという彼女の心の声が聞こえるようになり、変な誤解をしていることに気づいてはいたが…まさかほんとにおふくろを連れて来るとは
ちゃんと否定しておけば良かったのだが、また勝手に心を読んだことを知られるのが面倒で放置したのがまずかった
と、いう事実をおふくろに説明するのは更に面倒で
「とにかく、心配するようなことは何もないから。」
真っ直ぐに目を見ておふくろに訴えかけると
「ちゃんと大事にしてあげてるって思っていいのね?」
なんとかわかってもらえそうで、ほっとしたら急に照れくさくなり
「とりあえずは…」
言葉を濁したら頬を思いっきりつねられた。
「い…ってぇ。」
「とりあえずって何かしら?もう少し素直にならないとほんとに愛想尽かされるわよ。」
んなこと言われなくてもわかってる
とりあえず
久しぶりにおふくろが作ってくれた味噌汁を少しだけ飲んで、彼女の家の地下室から魔界に帰ると言うおふくろを送って行くと
すっかり暗くなった門の前で待っていた彼女が、駆け寄って来ておふくろに頭を下げた
「今日はありがとうございました。」
「いいえ、こちらこそありがとう。久しぶりにバカ息子に会えて楽しかったわ。」
そう言って手を振りながらおふくろが彼女の家の中に消えて行くのを確認すると
「ごめんなさい、勝手なことして。」
伏し目がちに謝る彼女をそっと抱き寄せた
「まったくだ、おかげで痛い目にあった。」
「えっ?」
「なんでもねぇよ。元はと言えば俺が呼び間違えたのが悪いんだしな。」
「そんなつもりじゃなかったんだけど。あっ、でもずっと聞きたかった酢豚のレシピを教えてもらえたから良かっ…」
「酢豚?」
「あっ、えっと。」
どうやら今度は彼女が口を滑らせてしまったらしい
「その話、詳しく聞かせてもらおうか?」
唇を重ねながらそう囁くと
「たぶん時効だから、許してくれる?」
潤んだ瞳でそう言われたら許してやるしかなさそうだ
fin
※中学の時、彼の母親に変身した彼女が酢豚を作れなかったってだけのことです