最上級生としての自覚

最上級生としての覚悟

     ・

     ・

     ・

最上級生としての〇〇


大会が近づく度に、

この言葉を多用する大人たちが、

私たちの周りには沢山いた。


中3は後がない。

勝っても負けても、

この1年で必ず中学生時代の幕が下がる。

だから、

大人たちは私たちに、

応援の意味を込めて

この言葉を多用していたと思う。


しかし、

この言葉には応援の意味以上に、

大きな期待と重圧が隠されている。


「勝つか負けるかは中3次第」


全ての責任が最上級生に

のしかかった瞬間であった。


正直、本気で「日本一になれる」と

思っていた部員は、何人居たのだろう。

口では、口癖のように

「日本一になりたい」と言っていたが、

確信を持てない半信半疑の状態で、

自分を騙しながら声にしていた部員は

決して少なくなかったと思う。


勝負の世界、1位以外は敗者である。

このたった1校の優者になるのは、

最後まで勝ちに拘り

どんな状況下でも、

勝ちを信じ続けられた者だけである。


最上級生を含め、私たちは、

勝ちに拘り、勝ちを信じる以前に、

自分たちの可能性を

信じることができなかった。


自分の弱さ・愚かさ・未熟さに蓋をし、

怒りや不安の矛先を他人に向ける。

努力を積み重ね、

自分の居場所=ポジションを

獲得するよりも、

人を蹴落とすほうに労力をかけてしまう。


人間はやはり何歳になっても、

「楽して生きて行きたい」と願う

本能があるのかもしれない。


努力することは大変である。

努力をしても報われないことがある。

そして、

努力の種類によっては、

人に評価されないこともある。


私たちはこれまでにも、

多くの努力の壁が目の前に現れてきた。

その度に、押し潰されそうな重圧に耐え

必死に乗り越えてきた。


だけど、

それでも、

越えられない壁が現れる時が来る。


その時、「私たちはどうするのか」


どうしようもなくなってしまった末、

私たちはとうとう、

一線を越えてしまうのである。

人間として許されない一線を…。


当時の最上級生もまさしく、

どうしようもない重圧や期待に

何度も押し潰されそうになる過程で、

努力=自分の可能性を信じること が

できなくなってしまったのだろう。


私が最上級生を否定できないのは、

私も最上級生になった時、

同じ壁にぶち当たったからである。

(一線は越えてない)


経験した者にしか分からない、

苦しみがそこにはあった。


to be continued 


3年生へ

当時、1年生だった私は、

3年生をいつも否定的な目で見ていました。

「意地悪な人」「冷たい人」として、

人として最低だなと「人間失格」の

レッテルを付けていました(個人の見解)

もちろん、

全員の3年生がそうではないですが、

一部の3年生に悪い印象を

抱いていたのは事実です。

ですが、

時が経ち私たちが3年生になった時、

なぜかみなさんのことがを思い浮かべました。


みなさんと同じ立場になったからこそ、

初めてみなさんの本当の気持ちに気づく

ことがてきました。

私が大人になったからでしょうか笑


あの時代を引っ張ってくれた

3年生にはもちろん感謝の思いもあります。

特に、Nさんには沢山お世話になりました。


この場を借りて、

3年生、ありがとうございました!