ワガママと自分に正直は違うと思う

わがままになるのではなく、自分に安心していけるような場所

自分を知っていることで、自分が安心する場所がわかることにつながる

安心したいのは仲間を作りたい、馴れ合いをしたいわけではなく

 

理解して欲しい寂しい、と思うイメージがあったとしても

自分が認めていないことには

人と馴れ合っている間は自分は一人だ

自分を偽って、周りに合わせて楽しむことは可能だが、本当にそれが必要なのか⁈

でも、楽しんでいるだけのゴムが引っ張られている状態のままだと、いつかゴムが切れてしまうのではないか

切れてしまった後の反動は怖いと思う

そうなる前に緩める、ホッとする、癒されることが必要

 

そこで元気になれば良い

本質の自分に戻れば良い、本当の自分が解ってさえいればそこに戻れる

本質の自分が解っていなければ、無理をしているのかどうかもわからない

ずっとゴムが引っ張られている状態だ

 

本質が分かったとしても、そこから目を背けようとする場合もある

自分らしくないと否定してしまう、人から見た自分という枠にとらわれてしまっている

幻想、作り出してしまっている

 

本当の自分が一番分かるのは誰だろう?

自分のことは自分が一番分かるのではないのか⁈

自分にも認められず、人にも認められず、だからどこに行けば良いのかわからない

人に認めてもらおうとするから、人の役に立ちたいと思うから色々と動こうとする

人から拒まれた時、ダメージは大きい

 

自分のことがますます嫌いになるだろう

 

周りに存在意義を求めるのではない

自分で考え、やりたいことを素直にやっていく(現実的には難しいかもしれないが)

 

自分のことを成長させていく

ゆとりを持って過ごし、自分と対話していくことも必要だろう

 

自分の状態がわからなければ、本当に楽しんでいるのかさえ偽っているのかもしれない

偽っていることに気づかないまま

 

 

表面上のことだけになるかもしれない

知るために、自分のことを知ることはとっても大事なことだ

表面上ではない、自分の奥底に隠された扉

鍵をしていると思い込んでいるのかもしれない

扉の鍵はしまってないはずで、いつでも出ることができるはずなのに、鍵がかかって出れないと思っている

 

そこに気づくことも大事だが、

本当の自分が何を隠そうとしているのかに気づく必要があるのではないか

玉ねぎの皮をむくように、1枚ずつはがしていく

時間はかかるかもしれないが、一番の近道である

 

中身を見ようと一気に切り裂いてしまったら、大きく傷が残るだけ

茶色い皮だけのければよかったのに、白い部分にも新しい傷を作ってしまう

簡単にいくはずがない

 

根本的な部分が必要だと思う

根本が改善しなければ、また同じことになるだろう

中が腐ったまま放置して入れば、そこの部分が広がって腐ってしまう

腐ったままでもいいという人はいるだろうか⁈

 

根本の部分をどうにか出来るようになれば良い

大元まで辿り着ければ、今まで見えてきたものとは違う世界になるだろう

そこから逃げなくても良くなるのではないか

 

自分がどいういう人間であろうと、自分がどう考えていようと

馴れ合って近づいてくる二限はいらない

必要であれば対応はしよう

 

私が知りえたすべてのことを使って

私ができる限りの事をしよう

自分が何ができるのかまだ分からない

けれどそれが一歩であれば

自分がやってきたことを隠すことなく伝えていこう