まひる野歌人ノート③曽我玲子

 

 

曽我玲子の短歌が好きだ。

たとえばこんな歌。

 

 

黒豆の煮あがる頃をかけあがる階段に白衣ぬぎすてながら 『薬室の窓』

たけなわの春の夕べの小医院「極楽湯ですか」と電話かかりく

ほとばしるホースの水にきみ撃てばゆらゆら笑う硝子の向こう

樹海にて朽ちゆくまでの樹の時間おもいて眠る目覚めるために

故郷へ帰る魚類のかがやきにカヌー静かに川のぼりゆく

 

 

夫がいとなむ小さな医院で、薬剤師として働いている作者。

年末は、病院もお節作りも大忙しだ。

調剤をしながら、あるいは患者の応対をしながらも時計の確認は怠らず、

その時間がくるやいなや「白衣をぬぎすてながら」階段をかけあがる。

場所の移動と、移動する主体の状態の変化が同時に行われる様子は、

スピード感にあふれていてコミカル。なんだか宮崎駿監督のアニメに出てきそうな場面だ。

黒豆の火を止め、状態を確認したあとは、脱ぎ捨てた白衣をばさばさと身に纏いながら

階段をかけおりて、ふたたび仕事場へ戻ってゆくのだろう。

 

春のさかりの、のんびりとあたたかい夕ぐれどき。

そこへかかってくる間違い電話として「極楽湯ですか」ほどふさわしいものはない。

ふつうの日常の、なんてことはないできごとが、歌に詠まれることによって特別なものに変わる。

 

三首目の歌を魅力的にしているのは、ほのぼのとした夫婦の風景のほかに、

二つの速度の表現があると思う。

勢いよくホースを飛び出す冷たい水の速さと、硝子窓の表面をゆっくりと流れおちてゆく

「ゆらゆら」した水の遅さ。

実際にはほんの数秒のできごとが、定型の中でしなやかに引き延ばされて印象深いワンシーンになる。水のスピードはそのまま夫婦の性格を表わしているようにも思える。

 

「樹海」という言葉を聞いて思い浮かべるのは、薄暗くて、静かで、だれもいない、

怖いけれど不思議と安らぎも感じる、なかばあの世のような風景。

そこで流れているのは、人間の時間ではない。何百年、何千年を生き続ける樹木の時間だ。

圧倒的で、果てしがないことは、ときにとても心地良い。ずっとそこで眠り続けたい。

しかし、結句の「目覚めるために」では、そんな甘美な幻想から曽我がすでに醒めていることがわかる。単なるイメージからの切り返しではなく、曽我自身がもつ芯の強さを反映しているような結句だ。

 

五首目は、「寡黙なカヌー」という一連のなかの一首。『薬室の窓』の中でも一番すきな歌だ。

遠景。画面中央には水がきらめくうつくしい川が見える。

そこを、一艘のカヌーがしずかにのぼってゆく。

「故郷へ帰る魚類のかがやき」という比喩は、カヌーの映像的な描写だけにとどまらず、

故郷に辿りつくまでの長い旅の道のりへ、読者の心を向かわせる。

旅はもうじき終わるのだろうか。

充実と寂しさがきらきらと反射しているような、印象深い一首。

 

 

まひる野の歌人の多くがそうであるように、曽我の歌もまた、ストレートな生活の歌だ。

医院での仕事、母や舅の介護、故郷の記憶。そのほかにも料理をしたり、

プールで泳いだり、どろぼうに入られたり――。

それらの歌を読んでいると、「ディテール」というものがかなりしっかりと詠み込まれていることに

気が付く。

 

 

幼児の頭蓋(スカル)がほどの梨の実を夜の卓に置ききざすかなしみ 『薬室の窓』

抽出しに片耳ばかりのイヤリングわれを過ぎたる時間がひかる

たわむれに指にさんごを飾りみる真夜中三時咳の止まざり (まひる野2017.7)

股関節の手術痕ある友が好き寒さに水の硬さ言いあう (2018.6)

 

 

夜のテーブルの上にしずかに置かれている、こどもの頭蓋骨ほどの大きさの梨の実。

医療関係者だからこその表現といえるだろう。

すでにかなしいのではなく、かなしみが「きざす」というのも繊細だ。

 

片方だけ残っている、もうつけられないのに捨てられないで取ってあるイヤリングたち。

抽斗のなかを見て「こんなにあったのか」と驚いているのかもしれない。

時間はいつもそんなふうに過ぎてしまう。

 

真夜中の一時や二時を過ぎて三時まで咳が止まらないとなると、眠れない状態にもいい加減飽きる。

なんとなく嵌めてみるのに選んだのは、少しくすんだような紅色のさんごの指輪。

ダイヤや真珠の指輪よりもずっと心に寄り添ってくれそうだ。

 

冬のプールで一緒に泳ぐともだちは、股関節に手術痕がある。

それがどのような病気や怪我を意味するのか私にはわからないが、

医療職の曽我にはその重大さがわかるのだろう。

その友達が背負ってきたものへ考えが及ぶからこそ、手放しで「好き」と思えるし、

こんなふうに素直に詠みたくなったのだろう。

心に響く、大人の友情の歌。

 

「さんごの指輪」をただの「指輪」に、「股関節に手術痕ある友」をただの「友達」にしない集中力と根気、

そしてそれらを定型にすとんと収める手際は、どこか職人技のようでもある。

職人が技を見せてくれるから、青二才も技を盗むことができる。ありがたい。

 

 

 

*

 

 

ここで、私が「仏壇シリーズ」と呼んで楽しんでいる歌をいくつか。

 

 

うねうねと川辺に沿える工場より漆黒の巨き仏壇出で来 『薬室の窓』

風吹けば風のかたちに打ち靡く麦畑のむこう仏壇工場

仏壇屋のならぶ通りの七曲りBMの赤に道をゆずらず (2017.2)

ゆうやみの底いに沈むぎしぎしと蓬の土手の仏壇工場 (2017.7)

 

 

曽我は滋賀県の彦根に住んでいるそうだ。

私は彦根に行ったことはないけれど、曽我のおかげですっかり「彦根=ひこにゃんと仏壇の街」

となった。

工場の無骨な扉から出てくる「漆黒の巨き仏壇」。

ガンダムやサンダーバード号みたいでゆかいだ。

 

 

*

 

 

 

生活の歌のほかに、曽我の大事なテーマとなっているのが「戦争」だ。

戦争の体験というよりも、物心つく前に戦死した父を中心とする家族の歌が、

第一歌集『薬室の窓』から現在まで詠み続けられている。

それらの歌は「戦争詠」と一括りにすることがためらわれるほど、

曽我の人生と不可分に結びついている。

 

 

たましずめの祭の葉月かげろうを踏みて軍帽の父が歩みく 『薬室の窓』

子のために生きよと最期の手紙かき爆死せし父よ母老いませり

こころ細く水引草の揺れいだす兄は八歳の夏を語らず

父の腕を知らざるわれは家具売場の革張りの椅子にふかく沈みぬ

記憶なき父なれば永遠に未知の人ははと見ている夕雲あかね

蒼空に枝を伐られしプラタナス兵士のごとく佇ち続けおり

車より降りたてば眼鏡くもりたり炎天に父が爆死せる時刻 (2016.11)

腕のべて水に潜ればくぐもれる亡き兄の声追いかけてくる (2016.12)

朱き舌ふるわせて泣く嬰児にてこずる日のくる永遠(とわ)に兄さん (2017,4)

夜の街にハンバーガーを頬張れり日本は八月十五日正午 (2017.7)

敗兵の遺児なるわれの喉くだるシャルドネ美味し月代青し

 

 

これらの歌に詠まれているのは、プロパガンダでも、反戦の啓蒙でも、若者へのお説教でもない。

戦争の時代を生きた家族の足跡であり、自身の人生に穿たれた幾本ものハーケンである。

革張りのがっしりと大きな椅子に、枝を無残に伐られたプラタナスの木に、

眼鏡がくもるほどの炎天の熱気に、プールの水の中に聴く、くぐもった音に、

生まれたばかりのきょうだいを見つめる孫の姿に、

八月十五日のアメリカで頬張る巨大なハンバーガーや、きりっと冷えた白ワインに、

戦争の翳は陽炎のように立ち上がる。

否応もなく立ち現れてしまうのだ。

 

こんなふうに、人生と戦争が分かちがたく絡み合ってしまうこと、そしてそれを、

決して特別な短歌としてではなく、執拗なほどのディテールをもって、

あくまでも生活の一部として詠み続ける歌人がいることを、まひる野に入らなければ、

私は知ることがなかったかもしれない。

 

曽我の歌に出会えてよかった。

そして、曽我玲子の短歌が、やっぱり、とても好きだ。

 

 

 

白き皿水に洗えるこの夜をカヌーはいづくを漕ぎゆくならん『薬室の窓』

 

 

 

※本文中の短歌は『薬室の窓』(砂子屋書房/2008年)と、

 過去三年の『まひる野』誌から引用しました。

 

 

 

(北山あさひ)

 

 

 

薬薬薬

 

 

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