こんにちは。
毎週更新!のまひる野ブログ、6月もがんがんいきますのでお付き合いください。
今回は飛び込み企画(!)です。
名古屋支部の佐藤さんが先日行われた歌会のようすをレポートしてくれました。
近くにお住まいの方で歌会に興味のある方は参考にしていただけたらうれしいです!
名古屋支部の佐藤華保理です。
名古屋支部ではおおよそ奇数月の日曜日(第何週かは未定)
午後1~5時に歌会を開催しています。
場所は愛知芸術文化センターのアートスペースか名古屋YWCAで行っています。
多い時は20名、少ない時は12名ほどの参加があります。
年齢層はまちまちで20歳~80歳代の方が来られます。
60歳代の方が一番多く、その他の世代は数名ずつです。
艶っぽい歌で年齢を感じないほど批評が盛り上がったり、
反対に人生経験から出る批評も出たりと毎回面白い歌会となります。
毎年1月の歌会の後には新年会をしたりします。
歌会の方式ですが、2か月分のまひる野誌を持参し(※ページ下部に追記あり)、
その中から1首自分が評をしてほしい歌を選び、それを隣の席の人が読みます。
そのあとに数名が司会者の指名で批評を述べていきます。
その間は自歌注釈はしません。じっと汗をかきながら耐えます。
だいたい自分が「弱いなーここ」と思った所をきっちり指摘されたり、
思ってもいなかった解釈をされたりと刺激的な時間でもあります。
最近では5月27日(日)に歌会を行いました。
名古屋の会員の他、愛媛から大野景子さん、
大分から麻生由美さん、東京から久納美輝さんが来名され、
14人の参加となりました。
歌会で印象に残った歌と評をいくつか紹介したいと思います。
みんなドア開けてくれるね捨てに行く蛍光灯を高くかかげる/山川藍(5月号)
壊れやすい蛍光灯を持って歩いていたら、ドアを開けて通してくれた。
「高くかかげる」動作の変化、時間の経過もわかりユーモアのある歌。
その反面、壊れものを持っているために優先して通してくれる、危機感、緊迫感がある。
子音のKと母音のeが連続してリズムを作っており、不安定な感じがする。
上の句が舌足らずで詰まるような感じがするが、作者の特徴でもある。それが通用する年代であるので、使えるうちに大いに使ってほしい。
貝を掘るぱんつへ潮の満つるより海とふものを怖れそめにき/麻生由美(4月号)
子供時代、初めての潮干狩りに夢中になっているといつの間にか潮が満ちてきて濡れてしまった。
冷たさ重たさなどの体感をもって、海は恐ろしいものとして残る。
そのことを小野小町の夢三首の文体で述べるところに魅力を感じる。
ロッカーの中に項垂れいるきみの白衣の衿をただしておきぬ/曽我玲子(5月号)
老いた夫の白衣をそっと直している、哀感を感じる老いの歌。
夫に言うこともなく「ただしておきぬ」は、長年夫を支える自信とゆらぎない気持ちのあらわれではないか。はげますような心境もうかがえる。
「項垂れいるきみの」が句またがりになっており少し冗長な印象を与える。
スクリーンのアラン・ドロンと目の合えばそれで良かったフランス映画/棚橋まち子(5月号)
「スクリーン」「アラン・ドロン」と時代の雰囲気を感じる。
「それで良かった」という端的なライトバースのフレーズに娘時代のいさぎよさ、ユーモア、当時の自分への感慨を思う。
「仏」を題とする連作の中の一首。オリジナルは「仏映画」だったが掲載時には「フランス映画」と修正された。「仏蘭西映画」とすると作者の連作の意図が明確になったかもしれない。
白魚の天ぷら噛めば小さけれど意思あるものの脂の味する/立花開(5月号)
淡白な白魚の脂の味を、意思あるものの味として発見する。
素材を尊重している、作者と素材がフラット、対等である関係性がおもしろい。
天ぷらを食べるときに生命を感じる、ある種わざと気持ち悪い感覚を出しているのではないか。
「小さけれど」は説明的ではあるが、ここでは作者の言いたい生命観に関連しているので、このままでいいのではないか。
ほんの一部しか紹介できませんでしたが、解釈が分かれる歌、
書道やピアニスト(楽器演奏)の歌など、作者と読者の経験の差のある歌の表現の難しさや
読みの深さの差、 「」でセリフを入れることの難しさなど、活発に意見が交わされました。
次回のまひる野名古屋歌会は、7月8日(日)午後1時から名古屋YWCAで開催予定です。
見学希望の方は問い合わせフォームからご連絡ください。
お待ちしております!
(佐藤華保理)
【※追記】
未入会の方やまだ歌が掲載されていない方は、
持参された歌をホワイトボートに書いていただき、それを批評するという方式となります。
また、歌を提出しなくても見学は可能です。
次週予告
まひる野歌人ノート② (担当:北山あさひ)
6/8(金)12:00更新予定
来週もお楽しみに!