まひる野集
キリマンジャロの雪に倒れし豹のことあるいはわれの晩年はあり 加藤孝男
なつかしい眼をして笑う遺影から顔をそむけて聞く冬の雨 広坂早苗
腎ひとつ無くせし爺様と五階より沙婆の銀杏の明るさ見てる 市川正子
旅先に忘れてきたる夏帽子ふいに思えり、土手にほおずき 滝田倫子
夕日入るローカル線に居並べる膝頭(ひざかぶ)まろきをとめらの声 寺田陽子
青春を歌ふ若きにまじらひて未来は焼きたての香ばしき麺麭(パン) 島田裕子
書くならば裸にもどれ息の攣(つ)る冬日はうつつの罫を出でえず 竹谷ひろこ
関節をぱきつと折ると筋肉がずるつと出ます蟹のことです 麻生由美
倒木に萌ゆる茸のほの光り木々の時間に身をゆだねゆく 小野昌子
モンブランをおそばと言いて食べし子は遠くへ行きて戻る事なし 齊川陽子
生れしより共に生きくる両の眼の水晶体にあらためて謝す 斎藤貴美子
氷河期に象狩をせる祖たちに気おされてゐる今のかよわき 升田隆雄
あれこれと思い巡らしつづまりは俺は蕎麦のみ好みておるらし 高橋啓介
夜の海は波静かなり沖合の船の灯ながく岸にとどけり 松浦美智子
帰らざる一日と思えばしみじみと勤め終えたる安らぎありき 中道善幸
ストローの先をこきりと折りしまま共に見てゐる瓶のコスモス 久我久美子
山の果て海の果てかとおぼゆるに人の世の果ては人群れのなか 柴田仁美
この朝を冬の素肌に触れるごと玻璃戸の結露手のひらに拭く 岡本弘子
骨折を夫に告げしにそれはきつと僕のせいいだと呟くを聞く 小栗三江子
茶畑のあちこちに立つ気配せり風車は闇を攪拌しおり 岡部克彦
ことさらに雪の降りつむ浦里のまばらに点る明かり温とし 吾孫子隆