作品Ⅰ


夕ひかり机上ななめに截(き)るなれば腰を浮かしてカーテンを閉(さ)す   橋本喜典


かがまりて古書の奥付確かむるあとさきの人みな若からず   篠 弘


ひとりではもう行けまいな わが植えし杉、桧らに逢いにゆきたし   小林峯夫


自殺する一人と病死する一人古き映画に二人が笑う   大下一真


かたちもつ水を啖らへば甘やかに水はあふれて吉備の白桃(しらもも)   島田修三


帰国せし一夜は明けてにつぽんのどんぐりの実を机にならぶ   柳 宣宏


梅雨晴れの日射しが俄に降り注ぎ不在の人の輝く草生   柴田典昭


解釈は可能性はと言いながら憲法の読み文芸の読み   今井恵子


検査室へ先立ちくれし青シャツの見知らぬ男夢に浮かび来   平田久美子


いつの旅のホテルなりしや引き出しに聖書の頁開かれおりぬ   すずきいさむ


辛いかと訊いて欲しかるときのあり幽かに流るる水音を聴く   大野景子




まひる野集


驟雨止み乾ける雨を懐かしみロンドンの夏を夢にて探る   加藤孝男


ゆうぞらの白さ果てなしひめゆり学徒も樺美智子も六月の死者   広坂早苗


鍵穴をカチリと回す鍵音にわれを迎えし猫(ポン)あらぬなり   市川正子


相聞のことばを秘めてふくらめる雨後のあじさい誰も触るるな   滝田倫子


地震(なゐ)きても背な撫でられて犬のごとねむたくなりつ降参仕る   竹谷ひろこ


議事堂を三十万が囲むとふ東京へ行く夜汽車あらなも   麻生由美


雨の日は好きではなかったはずなのに六月の雨は生命(いのち)の匂いす   岡本弘子


ベツレヘムの星の花咲く春さなか麒麟は何を思ひて眸(め)を伏す   久我久美子


三面鏡の洞穴(ほらあな)の奥にわれでなきわれ探さむと拭ひてをりぬ   柴田仁美