作品Ⅰ
ステッキはつくものなれど春なれやかかげて蕾のうるほふを指す 橋本喜典
人質はすくひがたきに自衛権その口実となりて膨らむ 篠弘
なるほどと聞き来て早速やってみるフライパンでも鰯が焼ける 小林峯夫
雀二羽戦い終えて別れゆき人間界に戦は止まぬ 大下一真
俊成の詠まむとせざりし火の宅(いへ)の朝より俺は渾沌である 島田修三
俯いて黒ランドセルが行くわけよおいつて声をかけたいぢやないか 柳宣宏
母は母を生きよと娘(こ)が言ふ常にわが汝に言ひたる言葉ならずや 井野佐登
屋根瓦つかみながされゆく老をパソコンの画面に見るときひとり 中根誠
わが生れし年の動乱遥かにてハンガリー産蜂蜜垂らす 柴田典昭
降る雪の雨に変わると言いしのちの人を眠らす家なる闇は 今井恵子
お手ごろの香典袋のまとめ買い俺は死なぬという顔をして 簑島良二
一枝に九つ花をつけてゐる黄のフリージアを妻は告げくる 岡本勝
目かくしの上より言葉かけくるる青年歯科医師その面知らず 中里茉莉子
膝を折るかたちに茎の撓む葦みきわめがたしこれからの生 曽我玲子
看板の撤去されたり昔ッコのテレンコ狐も河童も失せぬ 村田夫紀子
すでに歩けぬ子規の履物なき玄関胸衝かれしと寅彦は記す 佐藤鳥見子
ねぢりホースの首を背中に押しこんで一本脚にねるフラミンゴ 清水篤
解説の立場になれば滑らかに口走るなり元の力士は すずきいさむ
わたくしの過去世を思ひだす時の刃こぼれのやうに十薬は散る 大野景子
まひる野集
茹でられし蟹をむしりて殻を割る指先に残る涅槃の匂ひ 加藤孝男
みちのくに桜を植えにゆきし子が帰りきてしばし寒気の戻る 広阪早苗
死にたいが口癖の叔母特養に豆大福をうっとりと食む 市川正子
つつしみて誰にともなく祈るなり十日ほどなる白き月ある 滝田倫子
淋しくて枯れゆく松もあるといふ囀りの中に朽ちたる家々 島田裕子
花は散りて金子国義去りし世のなべて色彩褪せゆくこころ 高橋啓介
この椅子に乗るなと猫を叱りゐし革張りの椅子貰はれゆきぬ 久我久美子
「贅沢」といふ凝乳に五時過ぎて赤き半額ラベルが貼らる 麻生由美
群れ鳩のなかに捜せりベランダにかつて孵りし肩白き鳩 松浦美智子
娘(こ)の遺骨見つけるまではダイバーの資格を取りて潜る父あり 岡本弘子