マチエール
負けてきて子が伏している玄関は冬の静かな入り江のごとし /佐藤華保理
ふゆめふゆめ木蓮さくらふっくらと胎児(ハラコ)のように時を待ちおり /富田睦子
黙祷を待つわたしたち消音のテレビ画面が海であるなら /後藤由紀恵
生きたいとぼくは思うか銃口やナイフが首にはりついたとき /染野太朗
ひさかたのひかりのなかを並び立つ台所用洗剤「ソープン」 /米倉歩
誰からも怒られたくはなくて行く文房具屋のはさみコーナー /山川藍
もう一度小さくなったら着たいなと園児服をたたんでおりぬ /木部海帆
明日ゴミに出すため口を塞ぐごとく思い出箱を封じて眠る /宮田知子
ためらわず烏賊の肝をはぐ私がほんとのわたしのようで 花置く /小瀬川喜井
永遠に生の側に立つ者としてアンソロジストは死者を語れり /加藤陽平
ラナンキュラス一輪二百七十円買わずに帰る 心は高価(たか)い /北山あさひ
先生のあの言葉から変わったと興奮してるね ごめん忘れた /倉田政美
とても手が冷たいですねとハイウェイの闇の男に見送られたり /荒川梢
財布盗られ大阪の地で朽ち果てるシミュレーションしてよし大丈夫 /小原和
真鰯のトルネードのなか立ちすくむ快楽に骨が砕けるほどに /立花開
赤ちゃんのようにちゃぷちゃぷ湯浴みさす抗う力すでにない子を /伊藤いずみ
作品Ⅱ(人集)
わが服に老母飼ふ猫の毛をつけて枚方香里の自宅に戻る /坂田千枝
しろたへの雪を掬えば菜の花のはつか咲(ひら)きてにほふ黄のいろ /庄野史子
立春のはこべの鉢に水そそぐ近づくはるの土の匂いす /哘恵子
皮を削ぎ刻み絞りて柚子の実のひととき過ごす北風(かぜ)を聞きつつ /前田紀子
春の雪除きてゆけば外套にきらきら氷の粒が付きたり /平林加代子
作品Ⅲ(月集)
老猫を残し独りぐらしの媼逝くそんな噂の似合うわが町 /上野昭男
右の手に酒左手に本あればこの世のことは大方足れり /川口六朗
張りつむる硝子を鳴らし風すさぶ睦月のすゑは寒くこもりぬ /森暁香
今朝もきて蝋梅の花啄ばめるヒヨのからだはよき香りせん /菊池和子
出張の夫の後より従順なふりしてついてくサムソナイト /浅井美也子