作品Ⅰ
表札の古りしを洗ふ「まひる野会」ついでに「橋本喜典」も洗ふ /橋本喜典
月下美人この世の花と咲ききそふその妻亡くす友の多かる /篠弘
玄関は施錠してきた眠剤は半錠のむかのまずに寝るか /小林峯夫
水打つと見えたる刹那首を上ぐ鷺は嘴に蛙銜えて /大下一真
冬白く空はらばろと広き昼こころもつ身はこころに疲る /島田修三
人間を私有し売り買ひする われら二十一世紀に生きてこれだぜ /柳宣宏
この町の噂は恐い薄暗きカフェより旨いコンビニコーヒー /中根誠
ゴミ袋提げつつ師走の路地をゆく同行二人の雨傘さして /柴田典昭
ひよどりの喉に吞まれてゆきたるや朱き実あかるき朝の光に /今井恵子
ひと在らぬ祠の前の日だまりに枝垂れつつ咲く冬のさくらは /川原文子
人間のことば知りたる野兎の書き残しゆく冬の足跡 /中里茉莉子
煤払い犬と一緒に追ひ出され朔(ついたち)冬至のひかりに浴す /縫明希子
ほつこりとそこだけ温んでゐるやうに蝋梅がさく師走の半ば /樋川道子
大木戸に万のあんぽ柿吊されて四年ぶりなる空にかがよふ /大槻弘
秋の日のフローリングに輝いて神さびているわが白髪が /佐藤智子
死んだふりしてゐるやうな夫の耳別れ話はどこからにする /大野景子
まひる野集
芽吹くものもたざるわれを囲み立つ冬の桜木、水木、榛の木 /広阪早苗
あいまいにほほえむようなやさしさの毒を見分くる齢とはなる /市川正子
散りたまる山茶花の白わが鬱をごっそりさらえこの広き空 /滝田倫子
こけの生す水槽に魚ら眠りゐむうからに掛けし言葉つぶやく /竹谷ひろこ
ゆるやかに羽化くり返しゆくわれに八つ手が花の拳かかぐる /寺田陽子
ドッグランに吠ゆる声せず開きつ放しの扉のみ風に揺れてをり /島田裕子
ひねもすを風はとよめり働きてありし日は知らず真昼鳴る風 /小野昌子
異人(ことひと)を蔑する言の多きかな自分はさうぢやないと言はむか /麻生由美
伏し目がちに書類受け取る女子事務員何がありしや泣き続けおり /斎川陽子
目にしたる手術同意書の診断名質す術なく無事祈るのみ /齊藤貴美子
自死したる若者の回忌にゆく夫に厚手のコート着す東京は雪 /松浦美智子
乾きゐる靴音とともに降りゆく冬至に近き地下鉄の階 /升田隆雄
ぽつぽつと欠礼葉書の届き来る終わりのあるは幸いならめ /高橋啓介
土佐もずく並ぶるわれが旅立つは青く輝く土佐湾の海 /中道善幸
眠りつつ四肢冷えてゆく寂しさや閻魔こほろぎまだ鳴いてゐる /久我久美子
沢山の柚子を安価に売る農家買い置きあれどまたしても買う /小栗三江子
大いなる恵みはぐくむ川にして泥流もまた水の力だ /吾孫子隆
ストーマを可愛いお尻と訪問の看護師居言えどわれは笑えず /岡本弘子
けふが底か朔旦冬至は曇りたり南瓜の煮物みづつぽ過ぎた /柴田仁美
マフラーに顔をうずめて夕まぐれ辻斬りの心地に家を後にす /岡部克彦
饒舌はつひにさびしくしろがねの雨降るこの世を語り尽せず /加藤孝男