<作品Ⅰ>

盆の入りは母の命日この日にとわれは歌集の「あとがき」を書く   橋本喜典

炎昼のハプスブルク家の庭園を木陰たどりて妻と蛇行す   篠弘

十代の勝浦の海伊豆の海プールにはなきその浮き心地   関とも

かれい臭消すべしとわれに命令し息子より届く固形の石けん   小林峯夫

ゴキブリに生れたることの是非もなしゴキブリ迅く厨を走る   大下一真

軟骨のモト呑みたらば軟骨のたちまち成るとは思はぬが分別   島田修三

一群のまぼろしの馬駆け抜けて青信号に変る国道   柳宣宏

転げたるミニトマト一つ行方不明ゆかを探せば捻子がみつかる   三浦槙子

新幹線殉職者の碑はわが町に鎖されしままに誰にも知られず   柴田典昭

待つ人の来ぬ間【ま】の改札口の辺【へ】の灯りの中に手話の烈しさ   今井恵子

言いそびれし言葉一輪の花にして絵手紙午後のポストに落とす   中里茉莉子

取り付けしばかりのテレビドアホンに姉さん被りの嫗が映る   高野暁子

健診にと小雨の中を共に行く二人揃うはいつまでなりや   大谷百合子

われもまた一点の景となりていん春の光のこの高原に   西尾芙美子

蜂の巣は何処にあるのか井戸端の南天の花にひねもすさわぐ   縫明希子

むねに手を組みてソファに眠るひるぎゅるぎゅる南瓜の蔓のびゆかん   曽我玲子

<まひる野集>

わが生に青沼ほどの光あれ一羽の鷺が降り立つほどの   加藤孝男

両の手に絞り出さるるマヨネーズぶふふぶふふ終の息する   市川正子

怒るにも体力が要る鶏ごはん二膳を食みてふたたび嗔【いか】る   広坂早苗

母の胸にのびてゆく葛の蔓草がやがて夏野の花となるまで   島田裕子

漕ぎながら身の浮きあがる自転車の少年に路空けてやらむか   竹谷ひろこ

囚はれのリビングの窓にドラセナは熱帯雨林を恋ひゐるならむ   升田隆雄

退院の日の近づけばふじ色の歩行器とどきポルシェと名付く   松浦美智子

父として進まぬ稿に苛立ちて煙草ともせば来るカブトムシ   高橋啓介

洗車機の中のやうだね声あぐる生徒にまじり窓へ寄りゆく   麻生由美

吹き抜けをすすつと上がるエレベータわが足下【あしもと】にある美術館   柴田仁美

髪薄き友が歌い出す曲は「遠くへ行きたい」そのうち行ける   岡部克彦