3月号の作品③
<まひる野集>

捺印を促しかねて冬の夜をながく向き合う少女の父と   広坂早苗

答案の添削に追はれ脳【なづき】にしみわたるラフマニノフ「楽興の時」   岡本勝

わが国に十四年間経て安南の象は飽きられ飢えて死にたり   市川正子

看護師はありがたうねと逝く日まで言ひたる人に洗はれてゐる   升田隆雄

脚二本もげて動けぬ蟷螂を木の葉にのせて思案しており   滝田倫子

自転車に追ひ来て人は手渡せり冷た充つる大き蜜柑を   麻生由美

湯船より溢るる湯水の身の嵩の音を聞きつつ人の世思う   高橋啓介

通年を深夜パートに就く人ら尋常ならぬ根性をもつ   中道善幸

裸木のメタセコイヤにローソンの袋いつまでも引つ掛かりゐる   柴田仁美

<マチエール>

影の子ども光の子ども現れて消えてふたたび冬の静寂   後藤由紀恵

恋人にしたいかわからないままにその体型にしがみつきたい   山川藍

しがみつくあれはぼくだな新宿の高層ビルの窓のひとつに   染野太朗

十のくらい四捨五入され死者を指す四千五百人【よんせんごひゃく】の乾いたひびき   米倉歩

黒豆にゆっくり味がしみてゆく夜にわれらもふっくら眠る   富田睦子

ハーモニカ吹くようなる子の寝息あたたかき夜はまた発芽する   木部海帆

ほどけゆく蕾は花弁をどれほどの力で開かん 子が泣いている   小瀬川喜井

外遊び待ちきれない子の音読に猿もじさまも活き活きとする   佐藤華保理

申し込み用紙の名前見つめればつぶやき始める一点一画   大谷宥秀

車椅子のモーターの音目で追えばああ静かなり図書館の午後   加藤陽平

信号を一度見送る幸せはかばんに入れて持ち歩きたり   川嶋早苗

何をしにここに来たっけ きらきらと潮に剥がれし鱗の一枚   荒川梢

ビー玉を入れたら味が変わるらし麦茶にそおっと沈める少女   倉田政美

感情が取り外し可能だったなら砂糖に漬けて休憩させたい   小原和