<作品Ⅰ>

われはわれを離れてわれの歌はなし悲母像に対(む)きて希望を言はむ   橋本喜典

かの夏を生きのぶるゆゑみつしりと蜜のひしめくこの冬林檎   篠弘

古き友を遠く訪ねて帰り来れば京都の友の訃報の届く   関とも

母の実家(さと)の墓高いところに見えおれどそこまでゆかずここにて拝む   小林峯夫

還暦を過ぎて偲べば兄逝きし三十三歳まことに口惜し   大下一真

ヤースナヤポリヤーナといふ音楽のやうなる地名にれかめば涼し   島田修三

さえざえと撮られし右手の骨格(ルビ:ほね)みれば皮膚あることは老いて醜し   三浦槙子

思ひ切りわが身を押し出す仕種見せ車椅子にて橋渡る人   柴田典昭

流行と言へばテレビのアナウンサー斜めの柄のネクタイをする   山県満江


<まひる野集>

気の触れし女(をみな)のごとく降りかかる雨なれば傘の中もずぶ濡れ   加藤孝男

犬の名とたがへて呼びてむすめにぞ一人と一匹正座させらる   島田裕子

水茄子を糠より出して切りおれば涼しき音せりメールが届く   広坂早苗

夫と子が今この卓にいたような網戸をのぼるささがにの蜘蛛   市川正子

木は仏仏は木ならむ木の肌と仏の肌のわかち得ざりし   升田隆雄

素麺のすて湯そそげる庭土の草はゆで菜の香をひしめかす   寺田陽子

大祖父がネジ巻きおりし大時計ボーンと鳴る音ふいに思えり   滝田倫子

五分ごとに子らの頭を数へをり海は広くて視界にあまる   麻生由美

フィールドをその足裏(あなうら)で駆け抜けよ自転速度を加速するため   高橋啓介

はじまりの五分を待たむ悪びれずをとめふらりと席を外せる   竹谷ひろこ

半額の価格シールを貼らんとしパックの中の鯵に睨まる   中道善幸