3月1日 19時50分頃、もも天国へ 

 

ももが、亡くなって3週間が経ちました。
ようやく、もものことを書ける精神状態になりました。

 

 

この記事を書いた後、

ももは、

自分の生きた痕跡をたどるように、自分のいつもいた場所、

部屋の好きな場所、

走っては倒れ、好きな場所に2-3分いて、

また、走って2-3分いたら次の場所に移動していきました。

 

3月1日、ももは病院から帰り、私は、自分の治療のために少しだけ外出。
帰宅すると、ももは、私のことを待っていたかのように、
ケージから私のことを見つめ、いつものルーティンをし始めました。
ケージの入り口で、頭を出してきて、顔と顔をつけて、ちゅーをする。
これが、いつものルーティン。それを何度も繰り返しました。

少しして、私のところに来て、「だっこ」と訴えてきました。
だっこすると、私の顔を目に焼きつけるように、じっと見つめてきたのです。
そのももの目、初めて会った日、2014年4月3日に見た目です。
虐待と多頭崩壊の場にいてレスキューされていたもも。
おびえながら、ケージの奥の隅で、私の目をじーと見つめて、
「私を連れて行って」と訴えてきた、その時の目と同じです。

ももは、だっこがとっても好きで、長い時には、1時間くらい、私の腕の中でうとうととしていました。
ももをだっこしている時、目に焼きつけるように私の目を見つめ、
「幸せだった、楽しかった」
と訴えてきたのでした。

3月1日の夕方に記事を書きましたが、
ももは、薄れゆく意識の中、自分の生きた痕跡をたどるように、自分のいつもいた場所、部屋の好きな場所、1-2m走っては力尽きて倒れ、好きな場所に2-3分います。
また、走って2-3分いたら次の場所に移動。
その後、ももは、一番お気に入りのいつもずっといた場所、低いテーブルの下でじっとしていました。ももが、一番落ち着く場所です。

そして、最期の瞬間、テーブルの下から物音がしました。
ももが、最期のお別れを教えてくれたのです。
急いで、ももをテーブルの下から出して抱き抱えました。
最期に、部屋を走りたかったみたいで、私の腕の中で、四肢を一生懸命に動かしました。 とっても、おてんばな子だったので、走ったり、跳ねたりするのが大好きでした。
最期に部屋を走り回ったのでしょう。
きっと、意識は、もうないと思います。  
そして、全身の力、筋肉が切れたようになり、だらり。
心臓の音を確認したら、もう、聞こえません。胃腸は動いています。

放心状態の中、だらりとなっているももの体を何時間も抱き抱えました。
ですが、仕事が忙しく、放心状態で、心ここにあらずの中、原稿を入稿。
徹夜で仕事したので、ももに意識を向けられず、ももの声を聞いてあげれなかった。
それが後悔。

でも、命尽きる最期、抱っこしている時に、
目で訴え「幸せだった、楽しかった」
と伝えられたから、もう、伝えることはなかったのかもしれません。
日ごろは、独り言を言っていて、おしゃべりなももでしたが、最期に伝えたかったのは、この二言だけだっのかもしれません。
ポポは、天国に旅立った時、こんなにおしゃべりな子だったんだとびっくりするくらい、色々な話をしてきましたが、ももは二言のみ。
虐待、多頭飼い崩壊と辛い思いをしてきたので、本当に伝えたかったのは、この二言につきたのかな。

しばらくももは、大きく目を開いて、まだ、色々と見ていたい!目を閉じたくない、そんな気持ちを伝えてきました。


3月1日19時50分頃に亡くなり、次の日3月2日の深夜、この日は、寝る時間があったので、ももは、ベッドが好きではなかったのですが、
「もも、最期だから、寝においでね」
と伝えてから、ベッドに入りました。
すると、ももは来たには来たのですが、
にこやかな明るい顔ではありません。

ベッドに寝に来たのに、
なんで、そんなに暗い顔をしているのか不思議でした。
ベッドに来たのは、一度だけではなく、何度も何度も来ました。
でも、何度見ても、とっても寂しい表情、暗い顔をしています。

そして、ももの隣を見てみると、誰だかわからないのですが、
暗い影がいつもいるのです。
それは、私の母なのか、ポポなのか、あの世からの使者なのか。
暗く霞がかかり、わかりません。
たぶん、あの世の使者だった気がします。 
 
夜が明けてから、冷静になった私は、理解できました。
ずっと私と一緒にいて、楽しい時間を毎日すごしてきたもも。
きっと、ももは、
「なんで引き離すの」「なんで一緒にいられないの」「別れなきゃいけないの」
何で別々の世界を行かなくてはならないかがわからない中、
そう訴えていたのでした。

ずっと一緒にいたもも。初めて引き離される現実に、
寂しく暗い顔をしていたのだとわかりました。
これが、ももとの最期の別れとなったのです。

亡くなった次の日に、お別れとは、あまりにも早いお別れでした。
それでも、ももの亡骸とのお別れをすぐにしたくなく、ももの体を保冷剤で何日も冷して、抱っこして、そんな日々を過ごしいました。
しかし、ずっとそうしてもいられないので、葬儀の日を3月4日に行いました。

もも、ガンで排せつが出来なくなるまで、大量出血を繰り返すながら、
腰がヘルニアになっていて、けっこう痛かったとも獣医さんからお聞きしました。
本当に本当に、最期までよく頑張りました。

ポポは、明け方に亡くなったので、死に目に会えなかったので、寝てしまった自分を責めました。
ももには、最期は一緒にて!何度も伝えていました。 
ももは、その約束を守ってくれました。

ももとの時間は、本当に楽しかったし、癒されることも多かったです。
さよならとは言いたくない。 

首と背中が2か所骨折してるのに、よく約8年、頑張ってくれました。
虐待現場、多頭崩壊現場からレスキュー。過酷な2年をすごしてきたもも。

 

家に着いてすぐのころ、とっても警戒して、攻撃的に。

犬が腰を引いてから飛び掛かって噛みついてくるような

腰を引いた後に飛び掛かってきました。

うさぎが、こんな攻撃的なことをするんだ!

びっくりしたのをよく覚えています。

もものまえにいたポポは、とってもおっとりしていたので

ももの行動が信じられなかったです。

獣医さんからは、今までいた環境、背骨が2か所折れていて、

すぐに介護状態になるかも。

それでも、迎え入れる覚悟はありますか?

と。

私は、ももが、私と会うために、ずっと待っていてくれた

縁あってうちに来てくれた。

そんなもも。

介護になっても、すぐにに死んでしまっても、

最期まで一緒にいようと覚悟を決めました。

それが、約8年。

ポポよりも長生きしてくれました。

 

ももは、うちにきて幸せでした♡

私も幸せな時間を送れました。

もも、ありがとう。

ちなみに、ポポの命日は3月5日。

私の生誕が3月日。3月に集中しています。