象のはな子天国へ。
先のブログに書きました、
タコ糸で子猫を振り回し死亡させた人…ありえない。
象のはな子のニュースと共に、タコ糸で子猫を振り回し死亡させた人…こんなニュースがあった。
みんなから愛された
象のはな子が天国へ旅立ちました。
新聞でもテレビでも大々的に報道されています。
26日午前8時半ごろ、定時にゾウ舎に行った飼育員が、通常は立っているはな子が倒れているのを発見。体重による内臓圧迫を防ぐため、ロープを使って寝返 りさせようと試みたが動かせず、午後3時4分にゾウ舎内で死んだことを確認した。前日まで体調に目立った異変はなかったという。
私は、 はな子の話が、テレビ化されてから、
何度も、井の頭公園に行き、はな子に会っていました。
タイから日本にやってきて、辛い思いもいっぱいしてたと思います。
鎖に縛られて、ストレスで痩せてしまったり、歯が抜け落ちてしまったり。
象というからだが大きいゆえに、繰り返された悲劇。
はな子に、悪意があった訳では、決してないと思います。
はな子、天国では、自然の中を好きなように歩きまわれるね。
大きな象が、ひとりで、あの飼育施設にいるのも・・。
動物園という環境が、動物にとって幸せな場合もありますが、
そうでない場合もあるかとも思います。
はな子にとっては、どうだったのでしょうか。
いっぱい辛い思いをしてきたはな子。
これからは、自由だね。
そんな話と同時に、こんなニュースがあった。
東京都杉並区上井草の西武新宿線上井草駅前で、
子猫の首にたこ糸を巻きつけて振り回し、
地面にたたきつけるなどの虐待をした男が書類送検されました。
子猫を連れて外に出たが、それでも鳴きやまないのでイライラして虐待した」などと供述し、
容疑を認めています。
何で子猫を拾ったのか、
可愛いと思ったのか、
もし、そう思って、拾ったならば、
何故、そんな酷いことができるのか、
理解できない。
はな子とは
1947年にタイ王国で生まれた。タイでの名前は「カチャー」。
インドから送られたインディラ「カチャー」は2歳半の時、タイから日本に贈られて、1949年8月22日にデンマーク船オラフ・マークス号でタイを発ち、9月2日に神戸港に着いた。
そして、貨物列車とトラックを使って、9月4日に恩賜上野動物園に到着した。
当初、上野動物園では「カチャー子」と呼ばれていたが、公募により、戦争中に餓死した「花子」(ワンリー)の名を継いで「はな子」と名付けられた。
上野動物園には、「はな子」到着のすぐ後の1949年9月25日にインドから贈られた「インディラ」も到着し、年末までの3か月間で100万人近くの入園者が訪れるゾウ・ブームが起きた。
翌1950年から、「はな子」と「インディラ」は移動動物園で日本各地を訪れた。
「インディラ」が列車等で全国を回ったのに対して、子ゾウだった「はな子」は都内を中心に東京近郊を回った。
その中には井の頭自然文化園も含まれていたが、そこで「はな子」を見た武蔵野市や三鷹市から、井の頭自然文化園での「はな子」の展示を求める声が上がった。
1954年3月5日、「はな子」は上野動物園から井の頭自然文化園に移された。
しかし、1956年、深夜にゾウ舎に侵入した酔客を死亡させる事故が起き、さらに4年後の1960年4月にも男性飼育員を踏み殺す事故が起きた。
このため、「はな子」は前脚を鎖で繋がれゾウ舎内に閉じ込められ、ストレスなどからやせ細った。
事故の2か月後に井の頭自然文化園に赴任し、「はな子」の飼育係となった山川清蔵は、「はな子」を鎖からはずし、運動場に出した。
山川は退職までの約30年にわたって「はな子」の世話をし、その様子は、書籍やテレビドラマにもなった。
ゾウの歯はもともと4本しかないが、「はな子」は1980年代に歯が抜け落ちて、左下の1本しか残っていない。このため、餌はバナナやリンゴ等を細かく刻んだ餌が与えられている。
近年、飼育員が鼻で転倒させられたり、獣医師が投げ飛ばされる等の事故が起きていたため、2011年夏に、飼育方法がそれまでの直接飼育から、飼育員が柵越しに世話をする準間接飼育に改められた。
2016年5月26日に死が報じられた。69歳没。