さて、堪忍袋の尾が切れて息子を怒鳴りつけたお話だけど。
ちょっと考えてみる。
この場合、外側には「まるっきり勉強もテストの振り返りもしない息子」と言う現実がある。
そして私の中には「いい加減なんとかしたほうがいい」「なんとかしてほしい」「言うこと聞けやぁ」と言う怒りの気持ちがある。
更に「そこに共振してくれない息子」への悲しみもある。
さて、この場合注視するのは現実か、感情か。
現実を取り上げて誰かに愚痴ったら共感してくれるだろうし、アドバイスもくれるかも?
塾を勧められるかもしれないし、うちのコも勉強しないのよぉ、と傷のなめ合いも出来るかもしれん。
しかし!それでうちの息子が勉強するようになるか??
否、ならん。
問題解決の方法を外側においてなんとか取り繕ったり誤魔化したりしようとしてもなんにも事態は変わらん。
だから、見つめるべきは自分の内側。
私は常に自分にも「アテンションプリーズ、注意を向けよ」と課している。
怒鳴りつけたら息子が次の日から猛勉強する、なんてことは思わん。
私がやることは自分の内側の悲しみや悲嘆にちゃんと目を向けて、でもそれを乗り越えて彼とどんなふうに向き合っていきたいのか、をきちんと明確化しておくことだ。
彼の中で文章を作るのが苦手だとわかったので今日は努めて会話を長引かせるようにしてみた。
彼の気持ちも引き出すようにもしてみた。
つい自分の気持ちを押し付けようとしたりしちゃうけどね。
もうね、どんなに相手に変わってほしくても相手は変わらない。
下手したら返り討ちにあったり暖簾に腕押し状態で絶望感を味わったりもする。
それが他人なら切り捨てりゃいいけども家族や親戚だと簡単にはいかない。
そこはちゃんと認識してないと自分の気持ちだけエスカレートする。
そして自分の気持ちに押し潰れされていく。
そしてこうであってくれたらいいのに、こうであるべきなのに、とどんどん相手をコントロールしたくなり、コントロールできないことにイライラする。
わかってほしいと言う期待があるからこそ、悲嘆、絶望、不信感、憎しみ、恨み。
そんなありとあらゆる負の感情に巻き込まれる。
だから、何をするか?
自分の気持ちにちゃんと意識を向ける、名前もつける。
そしてどの方向に進みたいのか、それはエゴなのか愛なのか、支配なのか繋がりなのか、コントロールなのか思いやりなのか。
ちゃんと因数分解する。
そして次の行動を決める。
この繰り返しをせなあかんのや。
息子は今日は「テストの解答先生くれるってー」とニコニコ帰ってきた。
よかったね~、と答える。
解答が来たらまた「一緒にやろうか」と声をかける。
その時は自分の心を状態は凪のようにしておこうと思う。
この繰り返し。
時には怒る。悲しみのあまりぶつかり合うこともある、
でもそこに「相手へのどんな感情があるのか」ここはしっかり見据えておこうと思ってる。
これが子育てにおける羅針盤作り👍
毎日くるイモリちゃん。
なかなか狩りが下手くそちゃんです。









