今まで「自己指圧推進委員会会長」のようなブログ展開でしたが、ここから少し、息子と自分自身の過去を振り返らせてください。

 

うちは2013年、息子が高1の秋から副腎疲労を治療してくれるクリニックに通っていました。「大阪 副腎疲労症候群 治療」と検索したら一番にヒットするであろう、大阪中津のK統合医療内科です。

このクリニックでの治療の経過や、その頃の息子の様子などを詳しく紹介していこうと思います。

 

 

このブログを書くことをまるで予期していたかのように、私ったら記録をつけていましたので、時系列的に紹介していきます。

高1以前のことは「息子の経緯」をご参照くださいね(^-^)

 

 

 

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高1 

 

2013/11/中旬

「嫌な気持ち」が出て、全く学校に行けなくなる。初めてK先生のクリニックを受診。

 

この時は単に、人から「『遅延型フードアレルギー』っていうのがあって、それが気分の落ち込む原因かも知れないよ。」と教えてもらいPC検索したら、K先生のクリニックがヒットしたから、行ってみようということで予約を入れたのでした。

 

じっくりと問診してもらい、「病気の元となる心の問題まで掘り下げて治療を行っていくのが統合医療の考え方です。」という説明を受け、初めて「副腎疲労症候群」という病気の名前を知る。それを判断するために以下の4種類の検査が必要だということで、受けることにする。

 

・遅発型フードアレルギー検査

・毛髪重金属検査

・唾液中コルチゾール検査

・血液検査

 

一個一個結構費用的にお高いので、全部を勧められたわけではありませんが、どうせなら調べてもらった方が治りも早いだろうと思い、全部お願いしました。​

 

検査結果がわかるまで、1ヶ月ほどかかるので、それまでの間、まずは腸の調子を整えるため、ビフィドバイオテクス(高濃度乳酸菌のサプリ)を飲み始める。

 

 

 

2013/11/末

唾液中コルチゾール検査以外の結果が出たので、母だけでKoクリニックへ。

遅発性フードアレルギーは乳製品が特に高値で、ほかにも色々問題点あり。

重金属も水銀以外のアルミニウム・カドミウム・鉛・ヒ素・ベリウム高値。

血液検査からは低血糖気味とのこと。

以上の結果から、 腸管漏出(リーキーガット)症候群、副腎疲労症候群と診断される。

「大丈夫。治る病気です。」と励まされ、心から安堵する。

前述の乳酸菌サプリのほかに、グアガム(腸で善玉菌のえさとなる食物繊維)、ケルセチン、マルチビタミン&ミネラルの計4種類のサプリメントを取るよう指示をうける。

 

ただ驚いたことに、K先生は遅発型フードアレルギーの結果、除去を指示はなさいません。

「牛乳くらいはやめとこうか。」くらいで、あとは「好きなように好きなものを食べていいですよ。」というスタンス。我慢することのストレスの方が、病気に悪い影響を及ぼすというお考えです。

 

 

2013/12/初旬

唾液検査の結果が出たので、二人で受診。

副腎コルチゾール値が低く、それが不調の原因と断言。

DHEAという副腎コルチゾールのホルモン剤を寝起きに1錠飲むよう指示を受ける。サプリメント4種は継続。

この時もK先生は、息子に分かりやすく丁寧に説明をして、「発病から3年くらいでこの病気だってわかってよかったね。10年以上苦しんでいる人もいるんだよ。必ず治る病気だから、がんばって治療していこうね。」と励ましてくださる。

早速診断書を書いてもらい、学校に提出する。

この後、クリニックには2週に一度のペースで通うことになる。

 

 

サプリメントを指示通り飲み、自宅療養を続けるが、状態はすぐには上向かず。

2学期末テストは全く受けず。自宅ではPC三昧で全く勉強はできず。

担任に相談すると、成績もまずまず良くそれまでの欠席日数も少なかったので、2学期末テストか学年末テストのどちらかを受けさえすれば、進級は問題ないだろう、とのこと。

なので学年末テストを受けれるよう、この時期はとにかく療養に専念することにした。

 

 

2013/12/中旬

症状が全く改善しないので、電話でK先生に相談。DHEAを寝起きに2錠飲むよう、指示される。

そうすると、ようやく体調が上向き始める。この頃からよく一人で散歩に出かけるようになる。

結局2学期は終業式まで学校には一度も行けずに終わるが、少しずつ勉強も再開できるようになってきていた。冬休みの間に休んでいたところも自習している様子だった。

 

 

 

休み始めて2週ほどたった頃から、高校が家から近いので、しょっちゅうクラスの男の子たちが見舞い(兼、遊び)に来てくれていました。この病気が悪化した時、ある程度長い期間の休息は体力と気力の回復に絶対必要ですが、回復したのち、そろそろ学校へ行こうか、というのは誰にでもハードルが高いものです。そんな時、この友達の力がどれほど大きかったことでしょう。

欠席が続いた当初は毎朝担任に連絡を入れていましたが、「来れそうな時にだけ僕の携帯に電話してくれはったらいいですよ。」と言ってださり、それも本当にありがたかったです。

 

 

 

2014/1~3

年が明けて3学期は、休みがち遅刻しがちながらも、そこそこ登校できるようになる。

DHEAも効いてきたみたいで、朝もそこそこに起きれるようになってきていたので、1時間目から行ける日も増えてきた。

サプリメントは若干種類が変わったりしてたが、だいたい同じ。通院は変わらず2週に一度のペース。

 

 

 

ところで、彼は中2の不登校時代から、自分で行く行かないを前日から教えてくれるようになっていました。

「明日は〇〇受けんとあかんから、午後から行くわ。」とか

「明日はう~ん…多分無理やから、もう弁当作らんでいいよ。」とか。

行くと言ってても無理で行けなかった時もあったとは思いますが、そんな時も

「無理したらあかんよ。」くらいの声かけで、好きにしてもらってました。

彼は具合が悪くなったら気分が落ち込むので、死んでしまうのではないかと心配になって、責めたりすることは怖くてできなかったのです。

 

 

 

3月になって、K先生には順調な回復傾向を報告。そのままの治療を続行する。

担任から連絡で、若干出席が足りない教科があったので、そこに集中して出席するようにし、学年末テストも受け、友達がしょっちゅう遊びに来てくれる中、2年生に進級。

春休みに入るとますます調子が良くなってきたので、DHEAを一度やめてみようということになる。

 

 

 

ここまでのまとめ

 

クリニックのこと

 

このクリニックのK先生の印象は、ほかの西洋医学の先生とは少し違っていました。

今まで私が知る限り、お医者さんと名の付く人は、代替医療にかかっていたと言えば頭からバカにして、「そんな話は聞く耳持たん!」といった態度の方ばかりでした。

でも、K先生はそんな治療家の処置にも熱心に耳を傾けてくださり、「それがあったから、このくらいで済んでいたのかもしれないね。」と、評価したりまでするお医者さんです。決して他のお医者さんや治療家の悪口はおっしゃいません。

その態度にこの人は信頼できる人だ、と直感しました。

そして何より「治る病気です。大丈夫ですよ。」という言葉に、もうドクターショッピングしなくていいんだと、親子で本当にほっとしたのを覚えています。

 

通い始めて半年間くらいは、疲れやすい身体のケアにコルチゾール剤を補給しながら、腸の調子を整える治療を続けました。

体調は1ヶ月ほどで上向き始め、3学期もぼちぼちと行けるようにはなりましたが、まともに学校に復帰できるのは翌春からとなります。

 

 

 

高校のこと

 

学校の方は、担任がおおらかな男の先生で、

「月曜の5時間目の授業、あと2回来なあかんから、お昼からでええから学校来て席で寝とれ。しんどかったらすぐ帰ったらええし。

(標準語訳;月曜の5時間目の授業があと2回来ないといけないから、お昼からでいいから学校へ来て席で寝てなさい。具合が悪かったらすぐに帰ったらいいんだよ。)」

 

「そんな、先生が授業してくださってるのに、寝るなんて失礼なことできません。」(息子)

 

「何言うてんねん!おまえ~、乗るか反るかの瀬戸際やぞ!かまへん!かまへん!寝とったらええねん。教室におったら出席になんねんから、それでかまへんねん!

(標準語訳;何を言っているんだい!君、乗るか反るかの瀬戸際だぞ!構わないから、寝ていればいいんだよ。教室にいさえすれば出席になるのだから、それでいいんだよ!)」

 

と、励ましつつ笑い飛ばしてくれ、超真面目な彼にはとてもありがたい存在でした。

 

冬休みの間も3学期になってからも、クラスの友達がちょくちょくと遊びに来てくれ(テニス部の子たちがコートが天候のため使えないことが多く、よく来てくれてました。)、学年末テストに向け一緒に勉強したり、そのあとにゲームをしたり、楽しそうに過ごしていました。

友達って本当にありがたいね♡と、二人でよく話していました。

 

 

 

今日はここまで(^▽^;)汗

 

高2以降の記録は

副腎疲労治療 クリニックに通って②に続きます。