ブログ用にプロフィールを書いていたら

いろんなことを思い出しました。
 
 
 
 
 
大学では文化人類学を専攻したんです。
 
 
 
 
 
人間は動植物や目には見えないスピリットたちと共にこの地球に生きている存在である、ということを理解して、自然や宇宙と調和し、自然を敬い、家族や隣人と助け合って生きていく、
 
 
 
 
 
そんな暮らしを保っている ネイティヴ・アメリカンや 様々な先住民族の教えや世界観にとても惹かれ、
 
 
 
 
 
特にネイティヴ・アメリカンの中の「メディスン・マン」
 
(薬草や植物について深く知っていて部族の人々を肉体的に癒すとともに、人々が大地やグレイトスピリットとの繋がりを忘れて精神的に不安定になってしまった時に もう一度繋がりを取り戻させてくれる、特別な存在。ごめんなさい、正確ではないです)
 
 
 
のことを知った時には心からしびれ、
本気でメディスン・マンになりたい!と思いました。
 
 
 
 
 
 
その後、アジアの自分と同じ年頃の女性が 人身売買や 持参金(ダウリー)殺人の犠牲になっている現実を知り、何かしたい、国際協力の仕事に関わりたいと思っていたこと、
 
 
 
 
 
 
現地に行かなくても出来る活動として
フェアトレードのお店を作りたかったことなど。
 
 
 
 
 
 
 
そんなこと 今の私の生活にはなんの関係もなくて、
誰かに話すこともなければ
私自身も忘れかけている 遠い遠い昔のことです。
 
 
 
 
 
 
でも、書きながら その頃の、
一番ピュアだった頃の自分の気持ちとか、
 
 
私の魂の願いとか、
 
 
何にも制限されずに自分の未来を思い描いていた頃の 自由さとか、
 
 
自分が本当はどんな世界に生きたいと思っているのかとか
 
 
 
 
 
 
 
どんどんどんどん思い出しました。
 
 
 
 
 
 
 
 
私は自由だった
そしてピュアだった
 
 
 
 
 
 
 
そして、そんな自分を封印したのは私自身でした。
 
 
 
 
 
 
 
いつまでもフラフラせずに親を安心させなきゃ、とか
 
 
 
 
 
 
 
夫が個人事業主の上  あまり健康じゃないから私は会社を辞めるわけにはいかない、とか
 
 
 
 
 
 
30才で今の会社に入ってからは
いろんな言い訳をしながら、
若い頃は絶対言いたくないって思ってた
「これが大人になるってことよね」
なんて 自分に言い聞かせながら、
 
 
 
 
 
 
一生懸命 会社や社会に合わせて生きて来ました。
 
 
 
 
 
 
 
封印してたけど、やっぱりどこかで覚えてたんでしょうね。
 
 
 
 
 
 
 
アロマやフラワーエッセンス、占星術、エネルギーワークなどに惹かれ学んでいますが
 
 
 
 
 
 
 
 
今日久しぶりにメディスン・マンについて読んだ時、
 
 
 
 
 
 
なんだ、結局私、 メディスン・マンになりたかったのね!
 
 
 
 
 
 
 
と、軽く驚くとともに 腑に落ちました。
 
 
 
 
 
 
 
年を重ねても、生活のために全然違う仕事をしていても、本質的なところは変わっていないんでしょうね。
 
 
 
 
 
 
 
 
メディスン・マンになるかはともかくとして、
 
 
 
 
 
 
 
 
自分の中のピュアな部分
自分の深くに眠っている本質
自由でエネルギーに溢れていた私のスピリットを
 
 
 
 
 
 
もっともっと大切にしよう
もっともっと自由にしてあげよう
 
 
 
 
 
 
 
そう思った今日でした。
 
 
 
 
 
 
私を自由にしてあげられるのは、
私だけ。
 
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