こんにちは😊


先日、お寺での坐禅に
本堂で座らせてもらう機会がありました。


皆さんは
坐禅をされた事はありますか?



禅は、中国で修行を積んだ
道元禅師と瑩山禅師が
鎌倉時代初期に日本に広めたといわれています。


坐禅は、瞑想と違い『目的』を持たない。


坐禅は完全に目を瞑らず
意識を内に向けるのではなく
半眼で外に(世界に)向かって開かれていています。




お寺での坐禅は
久しぶりに参加してみて
何か、いいな〜と感じた。


私には、このくらいが丁度よくて


呼吸をうまくやるぞ、とか
精神性を高めるぞ、とやるのは
目的を持つ事になるので
禅ではなくなる。


禅宗の老師は、
呼吸を真面目に取り組もうとする人の
質問に対して
『窒息しなきゃいいんだから』
と冗談まじりに仰っている😄


もちろん、これは
はじめから緩いのではなく
ストイックにやってこられたからこその
大らかさなんだろうと。


完璧至上主義になる、のとは違うという事。



目標を持って取り組みたい人や
達成感を得たい人にとっては
この『目的を持たない』坐禅は
なんだか物足りなく感じるかもしれません。



だって私達の多くは
目的を持ち、それに向かって頑張る事
何かを達成する為にと、随分時間を
使ってきているから
それに慣れてしまっている。


目的を持たないなら
一体なんの為にやるの?と
目的をまた探し求めようとする。笑



坐禅にしても、それをやる事で
どんな効果が得られるの?と
聞きたくなるかもしれない。


だけど、私にはこの目的のない

なにかを達成する必要のない坐禅が
とても気に入っている。





はじめて坐禅を体験したのは
お寺で坐禅、滝行、写経、写仏の撮影を
依頼され、ご住職にレクチャーを受けながら
その風景を撮ってもらった時でした。
20代の頃、声を掛けられ
面白い御縁だったなと思います。




探し求めなくても
坐禅とのご縁はあった。
本来開かれていている世界に対して
もし、自分が閉じていたら
ご縁は結ばれなかったと思う。



そして、先日の坐禅の時に
僧侶の方が参加者の前でお話されていた
自分の事だけでなく、人を思いやる気持ちも大切に、という様な話が
月並みな話に聞こえるけれど
注意深く自分を客観視して
留めておく必要がある言葉だなと思いました。


なぜなら

近年よく耳にするようになった
マインドフルネス瞑想は
生産性や集中力を高める効果があると
いわれますが、その反面


人によっては、より自己中心的になり
他者との関係性が希薄になったり
社会に対する関心が薄れていく傾向が
あるともいわれているからです。



そのような瞑想実践や
精神性を求めるヨガの実践で陥りやすいのが

外の世界に対する
アレルギー反応の様なものもあり
自己にベクトルを向けすぎて
人を避けたり内向気味になる事もあるというので。




坐禅ではなく、
マインドフルネス瞑想の話ですが

気を付けておくポイントとして
忘れない様にしておこうと思います😊


私は閉じたいのではなく
開いて関わりたい人達がいるから😄



お読み頂き
ありがとうございました😊