おはようございます︎☺︎



やることに追われた忙しさと

自分の内面、外面の変容が忙しく

なにから書き出したら良いかわからないですが


今感じてることを書いてみよと思っています



先日の投稿『愛の世界へ︎☺︎ ①』おはようございます︎☺︎3月は仕事が忙しかったのとわたし自身いろんなことがあってブログを書き出しても投稿するまでに次々と変化するのでこんな長いこと更新しないの…リンクameblo.jp



まいちゃんのサロンやお勉強会に参加させて

もらっています


そこで学んだことをシェアさせてもらいますね︎☺︎

お付き合いください( * ॑˘ ॑* ) ⁾⁾




彼が急に『結婚する』なんて言うから

動揺してパニックになってしまったけど


フォーカスするのはそこじゃないってわかりました



まいちゃんのお勉強会で

『自分が作った設定を外すこと』

『見捨てられ不安を越える信念を持つこと』

教えてもらって︎☺︎



わたしはどんな設定をしてたかなってところから

観察してみました


『いつもちゃんとしていないといけない』

『人に心配かけてはいけない』

『世の中の常識を守らなければならない』

『良い人でいなければならない』


とりあえず、浮かんだのはこんな感じでした

もちろん、もっともっとあるけど

一番色濃くハッキリ見えている意識です



これがどこから来ているかと言うと

やっぱり幼少期  インナーチャイルドの痛み


わたしは年子のお姉ちゃんで

祖父母と両親と未婚の叔父もいる

大家族の中で育ち、

母はいつも祖母と小姑との関係で悩んだり

自営業だったので仕事が上手くいかない時もあり

そんな中で厳しくしつけられました


お母さんに甘えたいけどいつもちいさい妹がいるし

お母さんはおばあちゃんと合わなくてピリピリしてて

おじいちゃんもおばあちゃんもみんなみんな

妹中心で、妹ばかり可愛がってた

妹は甘え上手で、見た目もわたしと真逆で小さくて

することなすこと可愛くて

いつもみんなの中心にいる妹が羨ましかった

わたしは『ちゃんとしたお姉さん』を求められて

いつも自分じゃないような感覚で

さみしかった

誰もわたしを見てくれていないようで


ちゃんとしてなきゃわたしはここに居てはいけないんじゃないかって、幼心にいつも思っていました



幼児期も児童期もそんな感じできて

高校生になった頃は

もっと『ちゃんとしてること』に拍車がかかって

『母にとって自慢の娘でいよう!』を目指して

勉強もしたし、︎部活も頑張った

論文を書くのが得意で、たくさんのコンクールに応募して、知事賞やら、なんとか会長賞やら、

たくさんの表彰も受けて

高校卒業する時には、優秀生徒として校外の大きな賞もいただいた。


もちろん嬉しかったけど

母が大喜びしてくれるのが、なにより嬉しかった!


認められる喜びをここで一気に経験しました




ずっと母を求めていて

母の姿を追いかけていなければ

わたしは見捨てられてしまうのではないかって

思ってました

いつもいつも不安で暗い顔をして

お母さんがわたしのすべてでした



社会人になって事故に合って手術したり

数年間のリハビリ生活で当たり前の社会生活が送れない時もあって

母を悩ませていることが苦しかったり

自分の中にあった絶望感を母にわかって欲しくて

激しい喧嘩をしてみたり


ずっとずっと愛に飢えていたんだと思います


母とわかりあえる日がくるのかなって

そればかり考えて生きてたように思います




そして夫と出会い、

両親が望む通り、結婚をしました

もちろん、わたしが望んでの結婚です

『やっと両親の代わりにわたしを愛してくれる人が出来た!!』と思ったことを

今でも鮮明に覚えているほどです


そして母になり、今に至ります




彼とは子どもを通して出会いました


出会ってから数年間はただの顔見知りだったけど

ある日、彼からの猛烈アプローチがあって

今までに感じたことのないあたたかい感覚を感じて

彼を愛するようになりました



その後のことは、このブログで綴った通りです︎☺︎






書き出してみて、改めて思ったけど

『見捨てられ不安』が強いのと

あと、『被害者意識』が強いなって思いました


見捨てられてしまうのでは無いかっていう不安は

いつも抱えてきたからすごく腑に落ちるのですが


人から『被害者意識が強いね』と言われることがあっても自分ではわからなくて

『どこが?』と思ってた


でも今のわたしならはっきりわかる!


被害者意識が強くて

『可哀想なわたし』を

自分で設定してるってことを。


○○のせいでわたしはこんな思いをしている

わたし、可哀想


自分を守るためのエゴでもありました




でもその設定、

まだ必要なのかな?( ˘•ω•˘ ).。oஇ


そこを見る時に来たのだと思いました





まいちゃんのサロンやお勉強会では

自分で自分を見捨てないこと

教わりました


いつもどんなときも

わたしのそばに居てくれて

どんな嫌な自分が出てきても

絶対見捨てない唯一の存在がわたし自身

わたしだけはわたしを絶対見捨てない

だからありのままの自分でいていいし

なにを思ってもいい


そこを本質的に理解し腑に落とすことができたら

すごく楽になりました


ベクトルが、母や彼に向かっていたものが

立ち止まり、自分だったのか?という感覚と共に

自分へと向けられたように思います



わたしの中から湧いてきた感情も想いも

わたしの魂そのもので

わたしの命そのものだから

そんな尊い感情を大切にできないなんて

それこそわたしが可哀想


誰かがわたしを傷つけているのではなくて

わたしが自分で自分を縛って

その事が結果として

心の痛みや傷となってたんだなって思いました


自分が自分を見捨てないって

こういう事なんだなって

やっとやっと、わかりました




そのうえで、『信念』の部分、

自分がどうありたいか、どう生きたいか

今問われているのだと思いました



ツインレイ概念に出会ってから

自分に起こることはすべて自分が作り出している

と知りました


観念的にはわかってる、


でもこの望まない現実を自分が作ってるなんて

自分が一番納得できてなかった

自分を幸せにするため?

…いやいや、こんな現実いらないし!

全然幸せって思えてないのにわたしが作り出した?

嘘でしょ?


わたしは彼と一緒に幸せになりたいの


だから、こんな嫌な現実は受け取らない


ずっとそんな感じでやってきていました




頑固にコントロールしようとしていたんですよね、

それが今ならわかります







長くなったのでつづきます︎☺︎