娘が代筆しています。

母は11月7日の早朝に旅立ちました。

1年4ヶ月間の癌闘病、20時間にも及ぶ手術とその後遺症もあった中、ずっとずっと頑張ってくれました。お疲れ様!



11月3日ごろから高熱が出始め、病院の指示でカロナールとクラビットを服用し始める。この時は抗がん剤の副作用かな?と思っていました。

11月5日から体がふらつき始めそれでも自分のことは自分で出来ていたのですが、
11月6日の朝に体に力が入らなくなり、酸素濃度が90まで下がり、大学病院に緊急入院になった後、追力して頂きましたが急変し夜には酸素濃度70まで、血圧が40まで下がり7日の早朝にそのまま旅立ってしまいました。

転移した肺がんはあったものの命を脅かすまでは大きくなく、直前まで呼吸も酸素濃度も全く普通で本人に息苦しさの自覚もなかった矢先の急変でした。

主治医の先生によると、急変の理由としてはCTで見えない細かい癌達が肺の穴を塞いでしまったからなのではないか。との事でした。

背中を触ると小さい癌がコロコロとあって痛みもあっただろうし、急変といえど高熱が続いてしんどかっただろうと。家でギリギリまで頑張ってくれてたのが奇跡です。と言われました。

 

11月5日は私の誕生日で、体調の悪い中一緒にケーキを食べてくれ、誕生日を祝ってくれました。それが最後に一緒に家で過ごした夜でした。元々母はかなり我慢強い性格なので、もしかしたら誕生日まで一緒に居てくれるために気丈に頑張ってくれてたのかあ、と思います。



母はゆー君が生まれてからずっと可愛がってくれて、癌になったけどこの子に会えたこの時間が人生で一番幸せと私にいつも言ってくれてました。

母は孫のゆー君と家でずっと過ごしてたように、病院のベッドで一緒に最期の時を迎える事ができました。






病院からお家に帰って、たくさんの母のお友達が来てくれました。

高校からの友達、スポーツ友達、職場の友達、犬の散歩友達
色んな人が集まって、悲しい場所なのに母との思い出話で笑いあって。みんな揃って、お母さんは明るくて楽しい人だった。と私に伝えてくれました。
こんなにたくさんの友達に愛されていた母の偉大な力を死してなお実感します。


色んな人から愛されて太陽みたいな人。


いつも美味しいご飯作ってくれてありがとう。どんな時でも味方で居てくれてありがとう。ゆー君を泣きやますために一緒にふざけてくれてありがとう。

大好きだよ。ゆー君に出会わせてくれてありがとう。私がお母さんにもらったものをこの子にこれからかえしていくからね。



このブログを通して応援していただいた皆さん本当にありがとうございました。

母が自分みたいな希少癌の方の参考になればと始めたブログでしたが、いつしかたくさんの人に応援を頂く中で母の生きがいの1つになっていました。

励ましのコメントが来るたびに私に嬉しそうに見せてくれて、私も一緒に勇気づけられました。

母のような希少癌の症例が今後の癌治療の糧となって、また応援いただいた皆さんの励みになることを願っています。

みなさま本当にありがとうございました。