ピラトゥスはサンヘドリンの連中が、なぜこのみすぼらしい男をむきになって殺そうとしているのか、最初はよくわからなかった。
しかし今はおおよその見当はつく。
あの連中は、自分たちではなく、俺にこの男の死刑判決を下させたいのだ。もし連中がこのイェシューという男を殺すことを決定したとなれば、ユダヤの一般市民が黙ってはいない。
彼らはメシアを待っている。そして、「イェシューがもしやマシアハではないか」と期待している者も一定数はいる。
マシアハ(メシア)とは字義通りには「油を注がれた者」であり、王のことである。どうもここの連中には、王の叙任に頭から油を注ぎかけるという変わった風習がある。王であるということはユダヤの指導者であり、ユダヤ人に自由と自立を取り戻す解放者であり、従ってユダヤの救い主ということだ。
そして、ユダヤを救い、解放するということは、今ここでは、我々ローマを撃退しようとする者という意味である。民の中には、イェシューがそのようなマシアハではないかと期待している者がいる。
もし、イェシューを殺すことを決定したのがサンヘドリンだと知れば、民はサンヘドリンを裏切り者として騒ぎを起こすだろう。
だがイェシューの処刑を決めたのはローマだとすればーーそんな政治犯の処刑など日常茶飯事なのだがーー民は「ローマ憎し」で一致するし、そのほうがユダヤの解放を願う過越の祭は盛り上がる。それによって、サンヘドリンの求心力もむしろ増すだろう。
そう考えるとピラトゥスには、逆にサンヘドリンの野郎どもを困らせてやろうかという思いが湧いてきた。少しほくそ笑んだ。
あの連中には死刑の執行権がない。俺が執行を拒めば、あいつらは自分たちでこの男を合法的には殺せない。では、どうするか。神の裁きとやらで死に値すると決めたのだから、生かしておくわけにはいくまい。私刑で殺して、変死ということにしておくか。だが、それでは民の混乱に収拾をつけることはできないだろう。何せ神のご意志を知る連中だからな。説明を求められるだろう。
だが、そんなことをして連中をからかったところで何になる。
この州の治安が悪くなるだけだ。大祭司たちがどうなろうと、俺の知ったことではないが、民が荒れると手がかかる。それに、俺の統治能力までローマに疑われる。ここは様子を見るか。
ピラトゥスの顔から歪んだ笑みが消えた。