ウッタン君のお父さん、ラム・ラル・タマンさんのご祈願をいただき、ありがとうございます。感謝しております。


昨日、カドゥカ清地師が病院までお見舞いに行き、現在の状況を確認してきてくれました。担当医とも直接お話しできたそうです。


皆さまのご祈願のおかげをいただき、容態は徐々によくなっています。血圧がやや高めであるため透析を継続しながら血圧を下げるお薬を投与しているとのことでした。


昨日、腎臓結石の摘出に向けた準備を行い、胸部と腎臓のレントゲン撮影、各種の血液検査をしています。麻酔科の先生も状態を確認し、腎臓結石の摘出手術を行うかどうかの判断が出されます。バイタルが安定していれば2〜3日以内に手術とのことです。


このようなお父さんの生命にかかわる緊急事態となり、本人も家族も慌てふためきましたが、逆に大切な逃れられない試練であったと、ありがたく受け止めています。


現在のところ、6月1日に日本到着の予定です。ネパール、そしてスリランカから、開導会併せて先住松風院日爽上人御27回忌のために来日、お参詣、ご奉公させていただきます。


玄義くん、とても元気にスクスクと育ってくれています。残念ながら今回は日本に戻れません。いろいろと考えてはみたのですが無理するのはやめました。


いずれにしても元気が一番です。よろしくお願いいたします。

ありがとうございます。








映画『ブレードランナー』はAIや遺伝子工学が極限まで進化している世界を描いている。「レプリカント」と呼ばれる人間そっくりの人工生命まで作られている時代。


いま世間を騒がしているUFOなどよりもっと大切で身近なテーマ。科学が進歩すればするほど、人々は逆に「本物の人間とは何か」を問い始めるということ。


人工的に作られた存在が感情を持ち、涙を流し、愛し、苦悩する時、「人間だけが特別だ」という境界は崩れていく。


「人間とは何か」

「記憶とは何か」

「魂や感情は人工的に生まれるのか」

「本物と偽物の境界とは何か」


このような世界では、逆説的にますます「自然に生まれた命」や「生身の人間」が貴重なものとして意識される。


「本物の人間」

「自然な出生」

「純粋な存在」


もうすぐ私たちは科学技術の「特異点(シンギュラリティ)」に呑み込まれる。毎日のようにAIが発見するものに驚いたり、AIが設計する新しい技術に感動したりするだろう。事実、究極の抗がん剤とか反重力装置とか人工超知能であれば数年で開発するかもしれない。


しかし、AIが進化して、動物や人間、その生命にまで領域を広げ、圧倒的な技術を見せつければつけるほど、逆に個々人が持つリアルな命、時間、人生の価値が高まるはず。


「人間らしさ」

「生身の経験」

「自然な感情」

「痛み」

「死」

「祈り」


古い写真の中に、真実の人生があってホッとします。子どもたちも大きくなるし、自分も老いていくし、限られた時間の中で当たり前のことは何一つないけれど、本当に生きてきた証がここにある。


みんなで、お寺で、行ってきたこと。ただ個別の人生ではなくて、これから何百年も続いてゆくお寺の歴史の中で、みんなで刻んできた事実、真実。


信仰心は薄れるし、ご信心は落ちるし、嫌なこともあるし、立ち止まったり、離れたり、遠ざかったりもするけれど、なにもかも、疑いもない、まぎれもない、みんなで成し遂げた菩薩行、積功累徳、異体同心のご奉公がありました。


きっと、今の技術で写真から誰かを削ったり、写真に誰かを付け加えたり、簡単にできますね。でも、何ができようと、本当のことは本当。削りも、足しも出来ない。


ピュアブラッド。レプリカント。よく分からないけれど、決して戻らない時間は命そのもの。宇宙のどこを探しても、これ以上の宝物は見つからない。


素晴らしい時間を、ありがとうございます。これからまた素晴らしい時間を作ってゆきたいです。作りましょう、もう一度。


情熱を、失わないようにしよう。情熱こそ私たちの人生をより良い方向へと突き動かす。よろしくお願いいたします。


ありがとうございます。
















この写真の中にいる方々の多くが、すでに寂光へお帰りになられました。


かけがえのない、素晴らしい方々ばかり。本当に胸がいっぱいになります。


妙深寺が隣りの森を取得し、その地鎮式の様子です。


今を守る私たち、しっかりしなければ申し訳ないです。さみしくても、やるしかないです。


お前がやらねば誰がやる。今やらなければいつできる。そのとおりだと思います。


時代や気分に流されず、信心、信じる道、仏道、踏ん張りましょう。




















月曜日となりました。GWに引き続き週末はたくさんのお参詣、ご奉公をいただきましたので、今朝の妙深寺は少し寂しかったように思います。


「五月病」という言葉もありますが、季節と同じように心を整えて、体調の変化に気をつけて、少しでも明るく、タフに、お仕事や勉強に取り組んでいただけたらありがたいと思います。


私は怒涛の週末が明けて、今日から再び開導会併せて先住御27回忌の準備に取り掛かります。少なくとも期限の過ぎた原稿を数本早急に書かなければなりません。


十数年ぶりに押し入れを開き古い写真を見ています。先住は写真がお好きだったので、まだまだ膨大にあります。


上手にご紹介できるよう、デジタル化もしておきたいです。とても時間は取れないけれど、貴重な歴史資料でもあります。


昨日は母の日でした。いてくれる母。ありがたいです。昨日の朝は寿美江奥様の「菩薩の記憶」の放映でした。感謝の気持ちでいっぱいです。


今朝はディリーパ良潤師の御法門でした。ゴール親会場の建立にあたり怨嫉があったこと、その時に立ち上がってくれたMr. D. C. Abeywardanaさん。2月、今生ではこれが最後と想い、強く手を握り合いました。是非、ご聴聞いただきたいです。国際弘通の到達点、その歴史です。






新緑の5月。朝参りはご信心。ご信心は朝参り。気持ちのいい季節です。


昨日は佛立倶楽部御講にたくさんのお参りをいただきました。テーマは「法華経入門」。


5月の御講も昨日からスタートしました。御教歌「法花経の信じ難きもことわりや ほとけの世すら五千退席」。


「法華経を信じることが難しいのも、まことに道理である。

なぜなら、釈尊ご在世の時でさえ、法華経の法座から五千人が席を立って退出したのだから。」


法華経の方便品にある故事。三止三請のやりとりの後、いざ仏陀釈尊が法華経一仏乗の御法門を説こうとしたその時、五千人が退席した。


退席したのは部外者ではなく、み仏のお弟子さんや信徒たちでした。礼儀正しく礼拝して出て行きました。


「法華経を信じられない人はだめだ」と責めているのではありません。むしろ「法華経が信じ難いのは当然である。仏さまのご在世でさえ五千人が退いた。末法の私たちが疑いや迷いや慢心を起こすのも不思議ではない。」


この人たちは「未得謂得、未証謂証」の人と言われます。まだ得ていないのに得たと思い、まだ悟っていないのに悟ったと思っていた「増上慢」の人たちでした。


内側にいる、縁の深い人が、慢心して、教えを聴くことが出来ない、教えを軽んじる。「わかったつもり」「もう十分だ」「自分はできている」と慢心を起こしている。


釈尊はその人たちを黙して止めず、「さて、ただまことの者のみが残った。こうした増上慢の人は退くのもまたよい」とされました。


来月の御会式を前に、お参詣を呼びかけてくださっています。しかし、本当はお願いされてお参りするものではありません。発意で、発心して、自らお参りするのが仏の道です。


縁が深く、すでに内側にいて、慣れて、勘違いして、頼まれてお参りする、渋々来る、ということではもったいないですし、功徳も御利益もありません。


「金ぼこり、学問ぼこり、古ぼこり、役ぼこり等は増上慢の部類なれば、信者にあらず。謗法のいまだのぞかざるものにしてて謂己均佛(いこきんぶつ)、五千退席の眷属也。これ慢心也。菩薩信者の心なし。改良せしむべし。若値悪友則失本心。」12-347


素直に、正直に、自ら進んで、喜んで、お参りさせていただきましょう。


「喜んで説き、喜んで聞き、喜んで口唱読誦する者、喜んで法筵をもうけ、喜んで供養し、喜んで人を誘引して参詣し、喜んで供養を受け、する者、法華経の持者、弟子、旦那の菩薩也。

この怨嫉を除き、人の怨嫉を責めずんば、何ぞこれを菩薩と言わん。何ぞこれを佛子と言わん。何ぞ供養を受けることを得んや。人身を得、大法にあい、喜ばざるはこれを信者、行者と云ふべきや。何ぞ成仏することを得ん。

もとより成仏を願はぬ者也。」16-126


「喜んですれば其功徳虚空に及び十方に周し」


本物のご信心、ご奉公をさせていただきましょう。