新緑の5月。朝参りはご信心。ご信心は朝参り。気持ちのいい季節です。
昨日は佛立倶楽部御講にたくさんのお参りをいただきました。テーマは「法華経入門」。
5月の御講も昨日からスタートしました。御教歌「法花経の信じ難きもことわりや ほとけの世すら五千退席」。
「法華経を信じることが難しいのも、まことに道理である。
なぜなら、釈尊ご在世の時でさえ、法華経の法座から五千人が席を立って退出したのだから。」
法華経の方便品にある故事。三止三請のやりとりの後、いざ仏陀釈尊が法華経一仏乗の御法門を説こうとしたその時、五千人が退席した。
退席したのは部外者ではなく、み仏のお弟子さんや信徒たちでした。礼儀正しく礼拝して出て行きました。
「法華経を信じられない人はだめだ」と責めているのではありません。むしろ「法華経が信じ難いのは当然である。仏さまのご在世でさえ五千人が退いた。末法の私たちが疑いや迷いや慢心を起こすのも不思議ではない。」
この人たちは「未得謂得、未証謂証」の人と言われます。まだ得ていないのに得たと思い、まだ悟っていないのに悟ったと思っていた「増上慢」の人たちでした。
内側にいる、縁の深い人が、慢心して、教えを聴くことが出来ない、教えを軽んじる。「わかったつもり」「もう十分だ」「自分はできている」と慢心を起こしている。
釈尊はその人たちを黙して止めず、「さて、ただまことの者のみが残った。こうした増上慢の人は退くのもまたよい」とされました。
来月の御会式を前に、お参詣を呼びかけてくださっています。しかし、本当はお願いされてお参りするものではありません。発意で、発心して、自らお参りするのが仏の道です。
縁が深く、すでに内側にいて、慣れて、勘違いして、頼まれてお参りする、渋々来る、ということではもったいないですし、功徳も御利益もありません。
「金ぼこり、学問ぼこり、古ぼこり、役ぼこり等は増上慢の部類なれば、信者にあらず。謗法のいまだのぞかざるものにしてて謂己均佛(いこきんぶつ)、五千退席の眷属也。これ慢心也。菩薩信者の心なし。改良せしむべし。若値悪友則失本心。」12-347
素直に、正直に、自ら進んで、喜んで、お参りさせていただきましょう。
「喜んで説き、喜んで聞き、喜んで口唱読誦する者、喜んで法筵をもうけ、喜んで供養し、喜んで人を誘引して参詣し、喜んで供養を受け、する者、法華経の持者、弟子、旦那の菩薩也。
この怨嫉を除き、人の怨嫉を責めずんば、何ぞこれを菩薩と言わん。何ぞこれを佛子と言わん。何ぞ供養を受けることを得んや。人身を得、大法にあい、喜ばざるはこれを信者、行者と云ふべきや。何ぞ成仏することを得ん。
もとより成仏を願はぬ者也。」16-126
「喜んですれば其功徳虚空に及び十方に周し」
本物のご信心、ご奉公をさせていただきましょう。

















