色彩心理カウンセラーの小林りえです

私の仕事の原点にもなった

母とのことを書いています

 

母とのこと①

厳しい母が苦手で、

大人になっても、逆らいながら、

心の深いところでは、母の価値観を守っていて生きにくかった私の過去です

 

最初のショックだった思い出は
弟が生まれるときでした

出産が近づいて、入院するときに、叔母が来てくれていたのですが

私が後追いするのをさけるためだったのでしょうね。
 
母は
「ちょっと出かけてくるから」とうそをついて行ってしまったのです
 
 
帰ってこない!!と気づいた時、
なんと、その時、小さいながらも ひどい!!!
説明してほしかった!!!と思ったんですよ
3子の魂100まではホント

「言ってくれたら納得したのに!!!」ってそのことにものすごく腹をたてた!
記憶があるのです。 3歳児 あなどれません

それで、何時間かカーテンにくるまり
ストライキをして、叔母を大変困らせたのですが


その時のカーテンのゴブラン織りの模様とごつごつした感触も
今でも覚えているのですよ
 
 
叔母が、子どもが喜ぶメニューと思って作ってくれたのでしょう
食卓に出されていたリンゴが入ったサラダが、食べたことがないものだったから、
嫌でさらに泣けてきたことも
 
くっきりと覚えているのです
 
 

成長してからも
この思い込みから
 
そう思い込むと、心配してかけてくれる言葉も
 
すべて
 
 
母は、私の気持ちを理解してくれない人
 
話を聞いてくれなかった
真剣に謝ってくれなっかった
私を理解しようとしてくれない
 
としか思えず
 
母は、私の自由を奪う人と思って
 
 
私が子供を産んだらこれだけはしない!
何か条を
執念深く書き記したりしていたのです
 
 
確か中学生の頃だったかな・・・
怖いでしょ
どこまで根にもってんねんって感じ
 

なので、私は子どもが生まれた時に、言葉がわからなくてもどんなことも
説明をしよう!と話して聞かせようというのは心に決めていました


どんなに、小さくてもわかるんだと思って
かくかくしかじかとなぜだめなのか・・・
 
 
言って聞かせると
 
 
不思議と、泣き止んだり納得したりしていました
 
 
また、感情的に怒りすぎたなって思った時も、あれはやりすぎた。ごめんねと
 
 
怒ったけれど、行動が嫌だっただけで
決して、あなた自身を嫌ったわけじゃない
 
と説明し
 
真剣に謝りました
 
 
 
スーパーでひっくり返り駄々をこねられたこともなく、
反抗期らしい反抗期もなく今に至っているのですが
 

私の子育ては、子ども時代に、
自分がしてほしかったことを
 
子どもたちにすることで
小さなわたしがどんどん癒されていくという
 
そんな子育てでした
 
 
そして、母への反抗心でやっていたようなものだったと思います
 
得意になって
 
「ほらっ私のほうがあっていたでしょ」
「私が正しいでしょ?」
 
 
と言いたい笑 鼻を明かしたい
そんな気配がプンプン
 
なんて、あさはか
 
 
今思えばなんという傲慢でお子様な考えだったのかと
 
穴があったら入りたいくらい
恥ずかしいですけれど
 
 
救われた部分
だからやってこれたと思える部分も、
たくさんありました
 
 
反面教師というものですね
 
 
 
だから、母との関係はこの頃には
私の人生に影響を及ぼしてない
 
 
乗り超えてると思っていたのです
 
勝った!ぐらい思っていました!
 
ですが、自営業をしよう!と門を叩いたトータルビューティースクールのカリキュラムに
 
おまけのようについていた交流分析という心理学を学んだ時に
 
 
まー出てくるわ出てくるわ笑
 
謎が解けた
 
禁止令をいっぱい持っていました
 
 
当時困っていたのは
 
1つのことをやり遂げられないこと
 
 
楽しいことが続くと、何かバチがあたる気がして心から楽しめない
 
 
痛みを我慢すると褒められてきたから痛みに強いこと
 
 
自分より他人を優先してしまい、ストレスをためること
 
今ひとつ自分の決めたことに自信がもてないこと
 
 
人の目が気になって、正解を探してしまうことなど、
 
他にもあったかも、、、
 
 
などが
 
全て幼少期の母との関係から来ていることに気づいてしまいます
 
そこから立て直しの作業が始まります
 
結婚して、13年も経ったころでした
 
続きます〜
 
母とのこと③